ある大阪市民の見た住民投票(大阪都構想住民投票)

2015.05.17(日)、大阪市では住民投票が行われました。普段は政治向きのことを書かないようにしていますが、今回は一人の大阪市民として感じたことを書き記しておきたいと思います。


私、大学では法学部に属していたので、曲がりなりに政治学をかじってきました。政治思想史、国際政治学(故高坂正堯先生の講義を受講していました、今考えるととても贅沢な話です)、政治過程論などなど。政治過程論は三宅一郎博士による集中講義だったと思うんですが、投票行動に関する講義でした。今でも、選挙に関してあれこれ考える際は、そこで身につけた知識が生きています。

それじゃあ、政治に興味があるのかと言われれば、全くその逆。現実の政治過程を眺むれば、延々と続けられる、単なるその場しのぎの利益較量。かくなる行動を興味深しとやは言はむ。否。

今も一応、政治関連の報道に目を通しはしますけれど、ほとんど興味はありません。私が何より政治に望むことは、「市民生活をあれこれと邪魔立てしない」ことです。「俺は俺で勝手にやってるから、あれこれ指図しないでおくれ」というわけです。ある意味、近代立憲主義に極めて忠実な考えかもしれません。

こんなことを書くと叱られるかもしれませんが、政治に期待するということは、あまりに(悪い意味で)ナイーブな行動なのではないか。自分の暮らしや人生は自分で切り開くものだよ、政治がどうこうしてくれるわけじゃないんだよ、政治で飯を食べているなら別論、いつまでも政治のことにかまけるのはやめようよ。そんな思いがあります。


私が初めて「大阪都構想」の話を聞いたとき、まず直感的に思ったのは「どう転んでも筋が悪い構想だ」ということです。もちろん詳細は不明でしたが、地方自治体の構造を変えることで全てが解決するかのような担当者の口吻に、大きな疑問を感じました。まぁ、一般受けしようと思えば、そういう口吻になるのは致し方ないのかもしれませんが。

かてて加えて、大阪市の要路に立つ人の民主主義に関する姿勢がとても危うい。ある問題については、これが民意だと強圧的に言いつのり、またある問題については、民意に従っていては政治が進まぬとのたまう。独裁が理想的な統治だとも。全知全能の神様ならば理想的な独裁も可能でしょうが、そんな人はこの世にいやしません。

私は上記の通り、政治に関してはとても醒めた立場に立っているので、政治的予測可能性を担保してくれない為政者には困惑を覚えるばかりです。地方自治体の首長は「能吏」がいい。そしてそれ以上の存在は要らない、というのが私の持論。

そのうちに「大阪都構想」は事実上頓挫したとのことで、私もすっかり忘れていたんですが、まるでゾンビのように復活してきたのが今年(2015年)の初頭でしたでしょうか。今回は住民投票にまで漕ぎ着けたとの由。驚きました。

仕方がないので、虚心坦懐、素直な気持ちで制度案(大阪特別区設置協定書)に目を通しましたが、訳が分からない。こういう文章の類(マニフェストとかそんなやつです)は、政治家独特のブラフを外して読まねばなりませんが、そうやって読むと、大阪市民に何のメリットがあるのか全く分からない文章なのです。おそらくは、もともとは橋下市長本人ではなく、ブレーンのA・H氏やU・S氏あたりの考えなのではないかと思うんですが、邪推しすぎですかね。

個人的には、「財の分配」は、「政治の中心」というよりも「政治そのもの」だと考えていますが、その肝心要の部分がかなりあやふやなのです。いや、故意にあやふやにしていると言うべきでしょうか。

私も、現在の大阪市政やそのシステムが手放しで素晴らしいと思っているわけではありません。大学生時代に「大阪市政モニター」を務めたことがあるんですが、その際、大阪市に何度か提出したレポートにはすべて「大阪市政と大阪府政の連携の重要性」を書いた覚えがあるぐらいですから。もちろん、市役所の役人さんが鼻くそをほじりながら読んでいた、いや、シュレッダーに投げ込んでいたことは百も承知ですけどね(笑)。


そんなわけで、期日前投票が始まったその初日、私は「反対」票を区役所に投じに行きました。選挙期間中に未知の事情が現れるとも思えませんでしたから。私の周囲では、家族、親戚、ご近所さん、賛成の人をただの一人も見かけなかったので、これは「反対7割、賛成3割ぐらい」で決着が付くのかなと考えていました。

投票日約一週間前、反対が賛成を約10パーセント上回っているとの報道があったんですが、これでも私には十分驚きでした。(気分的な部分を除けば)大阪市民に何のメリットがあるのかよく分からない制度に賛成する人が多くいる……。

当塾は大阪市の中心部に位置しているということもあり、選挙期間中、朝から晩まで「賛成!」「反対!」「賛成!」「反対!」の街宣が聞こえてきました。はぁ……。上記予測報道の後は、さらにヒートアップして、「賛成!」「反対!」「賛成!」「反対!」「わらびもち〜!」「石焼きいも〜!」「とうふ〜!」の嵐。いや、最後のは関係ないか。

この中で、私がひっかかったのは、賛成派の「今すぐ決断しないと、今後改革の機会は一切ない」という主張です。これはいくら何でも大阪市民を馬鹿にしすぎだろうと思います。本当に限界的な改革の必要が生じれば、それに応じた人や考えは「必ず」生まれてきますし、市民がそれをチョイスできるであろうという程度には、私も大阪市民や民主主義を信じているのです。

ちょっと分かりにくい物言いかも知れませんが、明治維新の中心人物中の中心人物である西郷隆盛と大久保利通がご近所どうしだったということは、そのことを証明していると思うんですよね。

「今しかない、今しかない」と何度も言い立てて、相手の判断力を奪うのは詐欺的商法によくある手法です。そんなときは「家に持って帰ってゆっくり考えてみたいと思うので、資料だけいただけませんか」と応えるのが定石。それを嫌がるような相手なら絶対に取り引きはやめた方がいい。はい、ここ重要ですよ〜、メモっておいて下さいね〜(笑)。

冗談はさておき、当塾では体験授業後、ご本人と保護者様でゆっくりご相談頂いた上で、ご入塾のお申し込みを受け付けるシステムにしているんですが、それは上記のような趣旨からです(ちょっと宣伝)。


住民投票の結果は、ご存知の通り。「大阪都構想」は僅差で否決となりました。

僅差というところが、現市長やその周囲の人々の力量、そして、大阪市民の素直な感情を表していると思います。「大阪市の解体までは必要ない、しかし、このままで良いはずもない。ドラスティックな改革でなくとも市政改革は進めるべきだ。」というのが選挙結果の素直な解釈ではないでしょうか。

生まれてこの方、つまり45年間、大阪市に暮らし続けている一市民としては、妥当な結論ではなかったかと思います。

「大阪が衰退していく!」と言う人がいますが、それは当然のことです。そもそも、日本国全体が衰退してゆくモードに突入しつつあるのですから。政治家はそこを覆い隠さずに、いかにソフトランディングしてゆくかの道筋を示すべきだと思うんですが、そんな人は当選しやしません(笑)。


繰り返しになりますが、政治に夢を見るのはやめた方がいい。政治が何かを変えてくれるわけではない。自分の生活を充実させるのは自分の努力しかない。そして大阪市を良くするのも同様。市民一人一人が仕事に励み、学業に励み、日々を充実させてゆくしかない。

ここ数年続いた、大阪の「政治の季節」は、住民投票で終わりを告げたのだと思います。大阪市民は制度論を忘れて、日々の仕事・学業に打ち込むべきでしょう。自戒を込めて Let’s work!

追記

ネットや報道を見ていると、大阪市民ではない評論家があれこれとご高説を垂れています(評論家の名に値するかどうかは不明ですが)。私の方でざっくりとまとめると、「改革の機を逃した大阪市民は可哀想なバカだ」というご意見のようです。

でもね、日本国憲法を読むまでもなく、住民に密着しているのが地方自治。そんな世界で、ドラスティックな改革が不適切or好まれないのは当然の話です。他所から見ている人間と、実際にそこに住まい巻き込まれている人間とでは、見え方や考えが違うはず。

私は、大阪市に、市民税も固定資産税も都市計画税も国民健康保険料も取り上げられています、じゃなかった、真面目に払っています。額は伏せますが、私個人からすれば決して安い額ではありません。その上での賛否選択ですから、非大阪市民のご高説を鼻で笑うぐらいの権利は認められてもいいと思っています。

説得力を持たせたいと思う評論家やコメンテーターの方々には、ぜひ大阪市に「ふるさと納税」をして頂きたいなと。多額の「ふるさと納税」をして下さった方には、当塾より感謝状を差し上げたいと存じます。いらない?ま、そう言わずに(笑)。