2011.03.24付の毎日新聞で下記の記事を読みました。
東日本大震災:東京脱出のイタリア人記者、日本人は政府を信じ過ぎ – 毎日jp(毎日新聞)
「日本の政府当局や東京電力、専門家は放射能汚染の危険を過小評価している」--。福島第1原発事故で、東京は危険とみて大阪を拠点に報道しているイタリア国営放送RAIの特派員アレッサンドロ・カッシエリさん(50)は毎日新聞の電話取材に「日本人はイタリア人と正反対で、政府情報を信用し過ぎる」と話した。
東日本大震災発生直後に初来日したカッシエリさんは、イタリア外務省やRAI本社から「東京に危険が迫るかもしれない」と言われ16日に大阪に移った。イタリア有力紙の記者たちも大阪にいる。
(上記記事より引用)
そりゃ、イタリア人が政府を信じないのはよく分かります(いや、上記特派員、イタリア外務省の意見を受け入れているから政府を信じているのかも)。
でも、日本人も別に政府を信じていないんじゃないでしょうか。私自身がこれっぽっちも信じていないので、そう思うだけかもしれませんが……。
外国に行ってみたことのある人は分かると思いますが、日本社会は、「同調圧力」が非常に高い社会です。まわりと同調していないといけない・まわりと同調しないと怖いという気分が横溢する社会とでも言いましょうか。
塾で小学生を指導していると、「空気を読めよ」というフレーズをよく聞きます(生徒が他の生徒に言う)。これは、「教室内のムードに同調せよ」ということに他ならず、教える側としてある意味ありがたい発言ではあります。しかし、子ども達も「同調圧力」のもとに暮らしているのだと思うと、やや複雑な気分になってしまいます。
こうした社会は、慣性が高い社会とも表現できるでしょう。つまり、何か他からの大きな力を受けない限り、現在の状態が変わりにくい。良く言えば「安定している社会」、悪く言えば「危機に対応する能力の低い社会」ということになります。
関西(とくに大阪)は、比較的そういう気分から自由であるような気がするんですが、それでもやはり諸外国に比べれば、まだまだ圧力が強いムードはあります。
個人的な意見ですが、同調圧力に支配されるかされないで済むかは、結局、個々人の知性に負うところが大きいのだと思います。自分で情報を得て、自分でしつこく考えて結論を出し、他者に惑わされず自分で行動する、そして自分で責任を負う。塾に来ている生徒達には、そういう主体的・知性的な姿勢を持ってもらえればいいなと常々思っています。大げさかもしれませんが、勉強というのはその一つの獲得手段です。
今後の日本社会が安定化の方向に進むということは考えにくく、流動化・不安定化する可能性が高いでしょう。そういう世の中を生き抜くためにも、勉強に身を入れてもらえれば、と(自戒も込めて)思うのです。
と言っても、小学生にそんな小難しいことは話せません。
「みんなが正しいと言ったからといって正しいとは限れへんで。自分でよく考えて正しいと思ったら手を挙げて言うてみ。間違いは恥ずかしいことと違うで。間違いを笑う方があかんねん。」
ぐらいに止めております(笑)。