お盆ですね

私どももそろそろお盆休みに入るところなんですが、例年のごとく溜まっている用事をこなす日々になりそうです。たまには日本を遠く離れたリゾート地で一週間ぐらいのんびりと過ごしてみたい気もしますが、 結局は持ち込んだ仕事だったり勉強だったりをこなしてしまうんだろうと思います。家にいたり、国内の近場旅行に出かけているのと何も変わらない(笑)。

まあ世界各地を飛び回っているから世の中が見えているかというと、そんなこともないようですし、生まれた土地からほとんど動いていないけれど世の中の真理を見通している人というのもまたやはり居ると思うんですよね。竹林の七賢みたいな。


以前、生徒さんのお父様とお話をしていて、夏休み期間中、お子さんをどこに連れて行かれたかという話題になったことがあります。

何でもその夏は、息子さんに合わせて長期休暇を取り、結構な額を張り込まれて、我が子を本場アメリカのディズニーランドに連れて行かれたとか(スゴイ!)。で、 夏休みが終わる頃、息子さんに、「この夏休み、どこに行ったのが一番楽しくて印象に残った?」とお尋ねになる。

生徒さん答えて曰く、「おばあちゃんとこに泊まったのが一番楽しかった!」と。○○君、確かおばあちゃんのお住まいって奈良県だったよね?近鉄一本で行けるやん。子ども料金で運賃150円ぐらいやん。

お父様が、「ディズニーランドは?せっかく行ったやんか!アメリカまで飛行機で行ったやん!」と畳みかけるように尋ねると、「あ、そういえば行ったっけ?」という反応だったらしく、脱力感を抑えられなかったとの由(笑)。


まあ、えてして子どもというのはそういうものだろうと思います。

最大限の準備をして、子供によかれと思うことをしているのに、子どもは全くどこ吹く風。勉強なんかも同じで(いやそれ以上に)、上記のようなことが世界のあらゆるところで日々起こっているんだろうと愚考します。

ただ、子を思う親の振る舞いは、その子の中に眠っていて、いつかどこかでその思い出が息を吹き返すのではないかと思っています。 時には具体的な遊びのシーンとして。また時には抽象的な親の愛情や思いやりとして。

私はいつの間にか人の親になり、その息子も成人近い年齢になりました。つまり、子育てはもうほぼ終了の段階です。何か大したことが出来たわけでもなく、自分の親が自分にしてくれたことを思い出して、ただコピーしてきただけだったような気がします。それ以上に気が利いたことをするだけの器量はありません。

ただ、時々、本当に時々ですが、息子を見ていると、自分のことをこんな風に父親は見ていたんだろうなとふと気付くことがあります。きっと頼りなく見えてたんだろうな……(笑)。今になればそうして見守ってくれていたことに感謝しかないんですが、その念を伝えるすべも今は無く。

保護者様とお話しさせていただいていると、「こっちはこれだけやっているのに、子どもはまったく分かってくれない」というお言葉を聞いたり、ムードを感じたりすることがありますが、まあ、それはそういうものなのではないかと思います。大人の心はそうそう簡単に子には伝わらない。

ただ、「親の心子知らず」が永遠に続くわけでないとも思うんですよね。

子どもがいつか大人になり、子をなし、 社会的な責任もそれなりに背負うようになったとき、ふと自分の中に親が居るのを感じる。その時、親がこの世に永らえているとは限りませんが、親というものはそれで満足すべき存在なのではないかという気がします。

皆さんの大事な懐かしい人も、お盆で帰ってくるといいですね。