大規模な自国語辞典を持つ国に生まれて

そろそろ入試本番も近づいてきました。受験生とその保護者様方が一番大変なのは勿論ですが、私どももバタバタと忙しい時期になっております。そんなわけでブログの更新もままなりません。すみません。

さて、昨日見つけたニュース。

スウェーデン語「公式大辞典」完成 苦節140年、全3万ページ超:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023102800376

スウェーデン語に関する公式の大辞典「スウェーデン語学術辞典(SAOB)」が140年に及ぶ編さんを経て完成し、最終巻が印刷所に送られた。編集者が25日、AFP通信に「1883年から編集が始まり、ついにやり遂げた」と語った。

SAOBは、ノーベル文学賞の受賞者を選考する機関スウェーデン・アカデミーが編さん。16世紀から現在に至るスウェーデン語の歴史を網羅し、39巻、全3万3111ページに上る。

 

これは素晴らしい仕事だと思います。編纂に140年ですよ、140年。我が国で140年前と言えば明治16年。ようやく近代国家への目処が立ってきたところでしょうか。スウェーデンではそんな時から営々と辞書作りが行われ、プロジェクトが放棄されることもなく完成の日の目を見たと。

これは私の個人的な見解ですが、大規模な自国語辞典を有していることは「一流の国」の絶対的必要条件なんです。自国の言葉を全時代に渡って網羅的に収集・解析・出版できるということは、その国の依って立つところを明示できるということであり、それなしに文化も法も道徳も何もないだろうと。

ほとんど経済的な見返りのないであろう文化的事業に、国家事業(もしくはそれに準ずる事業)として、莫大な時間と労力と金銭を投下するなんて、ある意味「狂っている」と評すべきかもしれませんよね。でも、そこまでして自国の言語文化を追究する静かな熱狂あってこそ、一流の文明国家なのではなかろうか。

イギリスには “Oxford English Dictionary” (略称OED)と呼ばれる大辞書があるんですが、公式サイトにはこんな説明があります。

The OED is the definitive record of the English language, featuring 600000 words, 3 million quotations, and over 1000 years of English.

英語1000年の歴史を余すところ無く体現するこの書を見よと静かに宣言するこの説明文は、一流国家としての誇りを高らかに宣言しているように思います。書籍版だと全20巻でしたか、その成立の歴史もすこぶる面白いんですが、興味のある方は次の書をどうぞ。比喩ではなく、文字通りの「狂人」がこの辞書の成立に大きく関わっています。

サイモン・ウィンチェスター / 博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話

日本最初の大規模な自国語辞典は、大槻文彦の著した『言海』だと思いますが、彼は明治8年から12年間にわたり孤独な執筆作業を続けました。おそらくこの日本を文明国家たらしめんとの強い思いがあったんでしょう、社交を一切断ち、家族との触れ合いすらもほとんど持たなかったという話を聞いたことがあります。

その執筆の最中にあった事件をご紹介しましょう。少し長いですが、『言海』の奥書からの引用です。

以下、「大槻文彦 ことばのうみのおくがき」から引用。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000457/files/43528_17152.html

遭厄の中に、もとも堪へがたく、又成功の期にちかづきて、大にこの業をさまたげつるは、おのれが妻と子との失せつる事なりけり。爰には不用にもあり、くだ/\しうもあれど、おのれの身に取りては、この書の刊行中の災厄とて、もとも後の思ひでとならむ事なるべければ、人の見る目にも恥ぢず記しつけおかむとす。

去々年十一月に生れたるおのが次女の「ゑみ」といへる、生れてよりいとすこやかなりしが、去年十月のはつかばかりより、感冐して、後に結核性腦膜炎とはなれり。醫高松氏が病院に、妻小婢(いそ)と共に托せしに、病性よからずして心をなやましぬ。朝夕に行きては、いたはしき顏をまもり、歸りては筆を執れども、心も心ならず。十一月十六日の、まだ宵のまに、まさに原稿の「ゆ」の部を訂正して、箏のおし手の「ゆしあんずるに」ゆのねふかうすましたり」などいふ條を推考せるをりに、小婢、病院よりはせかへりきて、家に入りて、物をもいはずそのまゝ打伏し聲立てゝ泣く、病の危篤なるを告ぐるなり、筆をなげうち、蹶起してはしりゆけば、煩悶しつゝやがて事切れぬ。泣く/\屍をいだきて家にかへり、床に安して、さて、しめやかに青き燈の下に、勉めてふたゝび机に就けば、稿本は開きて故の如し、(中略) 讀むにえたへで机おしやりぬ

 

少し古い文体ですが、筆者の凄まじさがお分かり頂けたでしょうか。幼い娘が亡くなった日にも、遺体を抱きしめるようにして病院から自宅へと戻り、床に安置した後、勉めて再び机に向かう。大槻文彦の行動は、私には常軌を逸しているように見えます。しかし、それを笑う気にはなれません。

ちなみにその直後、文彦は妻をも喪います。辞書編纂作業というのは、人の運命を狂わせる畏るべき営為なのかもしれません。

この小兒の病に心を痛めつるにや、打ちつづきて、家のうちに、母にておはする人をはじめとして、病に臥すもの、五人におよびぬ。妻なる「いよ」なげきのなかにも、ひとり、かひ/″\しく人々の看病してありしが、妻も、遂にこの月のすゑつかたより病に臥しぬ。初は、何の病ともみとめかねたるに、數日の後、膓窒扶斯なりとの診斷をきゝて、おどろきて、本郷なる大學病院に移して、また、晝に夜にゆきかよひて病をみ、病のひまをうかゞひては、歸へりて校訂の業に就けども、心はこゝにあらず、洋醫「ベルツ」氏も心をつくされけれど、遂に十二月廿一日に三十歳にてはかなくなりぬ。

いかなる故にてか、かゝる病にはかゝりつらむ、年頃善く母に事へ我に事へ、この頃の我が辛勤を察して、よそながら、いたく心をいため、はた、家政の苦慮を我におよぼすまじと、ひとり思をなやましてまかなひつゝありける状なりしに、子のなげきをさへ添へつれば、それら、やう/\身の衰弱の種とはなりつらむ、さては、子の失せつるも、衰弱せる母の乳にやもとゐしつらむ、あゝ、今の苦境も後にいつか笑ひつゝ語らはむ、などかたらひたりしに、今はそのかひなし。半生にして伉儷を喪ひ、重なるなげきに、この前後數日は、筆執る力も出でず、強ひて稿本に向かへば、あなにく、「ろ」の部「ろめい」(露命)などいふ語に出であふぞ袖の露なる、卷を掩ひて寢に就けば、角枕はまた粲たり。

 

ちなみに現代の我が国には、燦然と輝く『日本国語大辞典 第二版』があります。50万項目、100万用例、全13巻+別巻1冊。もちろん私の書架にも並んでおりまして、ちょくちょく「相談」させてもらっています。こうした辞書がある国に生まれて良かったなと思いながら。引っ張り出すのが大変なので、普段使うのは電子版の『精選版』の方なんですけどね。

日本国語大辞典の裏話に興味がある方はこちらをどうぞ。

松井栄一 / 日本人の知らない日本一の国語辞典(小学館新書)