「解像度」が低い

何事においてもそうですが、経験や勉強を積んでゆくと、その物事に対する理解度が高まりますよね。鮮魚を毎日扱う人は魚の微細な差異が感じ取れるでしょうし、毎日テストコースで自動車を開発している人は極めて微妙なセッティングの差異を読み取れるはず。

最近、こうした状態を「解像度が高い」というふうに表現しているのをよく見かけます。とてもしっくり来る表現だと思います。「解像度」とは、大辞林によると、「ディスプレーの表示や印刷などの細かさの程度」と定義されていますが、もう少し平たく言うと、「絵の細かさ」のことですね。

つまり、「解像度が高くなる」というのは、経験や勉強によって、絵が(世界が)どんどん微細に見えるようになってゆくというイメージです。

昔は「解像度が高い」なんて表現を使いませんでしたので、おそらくはコンピュータで画像を扱うことが一般化してから定着した表現ではないかと思います。

私自身で言えば、文章を読むことや生徒さんの解答を見ることについては、かなり「解像度」が高いのではないかと思っています(そりゃ仕事ですからね)。

ただ、「解像度が低い」いや、「解像度が劇的に低い」部分がございまして、妻や息子にあきれ果てられている分野がございます。食べ物・料理という分野なんですが。


妻が私に目をつぶらせ、何か冷菓らしきものを口に入れてきます。

「これ何だと思う?」

「う〜ん、アイスやね。」

「当たり前やん!何のアイスかを聞いてるねんよ。」

「う〜ん、多分……果物。」

「範囲広すぎ!もっと解像度を上げて!」

「何か食べたことのある味なんだけど、何の果物だったか思い出せないな……。わかった!いちご!」

「ブブー。」

「う〜ん、バナナ?」

「ちがう。」

「オレンジ?」

「何でこんなことが分からへんかな〜。」

「梅?」

「全然ちがう!」

「ごめん、全然分かれへん……。」

「答えはメロン。どう考えてもメロンしかないやん、この味。」

「そうか!言われてみたらメロンの味やね。難しいなあ。」

「難しないわっ!」
(妻も息子もあきれながら大笑い)

まあ、味に関してはこんな調子で「解像度が低い」こと極まりありません。

ひょっとして味覚障害なのではと心配されたこともあるんですが、甘い辛い苦いなどの味は完全に分かりますし(塩辛いのは苦手です)、加えて硬水か軟水かも瞬時に分かるので、多分違う。おそらくは食に全く無頓着な性質が、食べ物に関する異常な「解像度の低さ」を招いているのであろうと思います。

「アイスなんてどれ食べても似たような味やん、色が違うだけやん、味は視覚で決めるものなんだよ」という意見はいつも完全に無視されます。か、漢字だったら「甜瓜(メロン)」って書けるんだからねっ!

以前どこかのビュッフェスタイルのレストランでデザートを食べていたとき、「抹茶ムース」があったんですよね。美味しい美味しいと食べていると、妻が一口ちょうだいと所望。で、一口食べさせるやいなや「なにこれ!まずっ!」と。

何これって言われても、「抹茶ムース」に決まってるやん。美味しいやん。

妻が絶対に違うと言い張るので、容器の底を見ると書いてありました。「青汁ムース」と……。

抹茶の苦みと青汁の苦みってほとんど一緒やんと抗弁するも、「視覚で味を判断する人」だと小馬鹿にされます。まあ、反論のしようもありません。

個人的には、味に対する解像度が低い分、文章や国語指導に対する解像度が高くなっているのかなと考えております。要するに、勉強指導の方は心配無用と思しめされたく候。