「読解」とは受動的なものではない。能動的なものだ。

朝から晩まで仕事に追われておりますが、最近は嬉しいご報告や楽しいお話を伺う機会も多く、充実した日々を過ごしております。その分、ブログはとんと御無沙汰しております。申し訳ございません。

さて、最近リフォームをした流れから、身辺物品の整理をしております。これがまた時間がなくてなかなか進まないんですけれど、特にCDの整理が難題。音楽が大好きなんですが、サブスクリプションサービス(毎月1000円程度で音楽聴き放題のサービス)に加入してからというもの、CDとは段々縁が薄れつつあるんですよね。

メルカリなどである程度処分したんですが、どうしても廃棄し難いCDがまだ二千数百枚。どないすんねんこれ……。気長にリッピングするしかないですかね。音楽データはともかくジャケットはどうしよう……。悩みは尽きません。戦時中みたいに、「音楽好きの惰弱な非国民め、CDを即座に供出せよっ!」なんて命令を出してくれればいっそのこと諦めもつくんですが(笑)。

所有CDのデータベースを作ってあるんですが(結構こういうのはマメなんです)、アルファベットソートをしてみると、1番は “AARON NEVILLE” でした。「AA」と続くアーティスト・バンドってあまりいないですよね。アーロン・ネヴィルは音楽界の「アート引越センター」ですね(意味不明)。

ちなみに次点は “ABE KAORU” (阿部薫)。前衛的なジャズなんかを聴いていると、副代表に嫌がられるんですよね。「悪いけどヘッドホンで聴いてっ!」ううっ。

アルファベットソートをして最後に出てきたのは “ZOOBOMBS” (ズボンズ)。おおっ、久しぶりだなあとYouTubeをあさること暫し。どんなバンドかって?ローリングストーンズの精神を軸にしたバンドで、The Jon Spencer Blues Explosion や Bo Gumbos が好きなら一発ではまるバンド、ってそんな説明が分かる人ならとっくにズボンズを聴いてますよね(笑)。

それはそうと、リーダーのドン・マツオって今どうしてるのかなと検索していて見つけたブログ記事が今回の本題。前振り長くてすみません。

心底ローリング・ストーンズを敬愛・崇拝しているドン・マツオ氏なんですが、ブログ記事を読んでいると、その愛しっぷりが本当に良くて、こういう人こそが「真のファン」というものなのだろうと思わせられます。

引き続きストーンズを聴いている。ボクにとってストーンズのレコードは、そこに含まれているどんな1音や残響であっても興味の対象であり、栄養である。ボクはそこに何らかの意味性を見出そうとし、表面に出てこない「語られざる意識」を感じ取ろうと、あれこれ忙しく思考する。「そんなこと考えている筈がない。無意識でただやっているだけだ。」と言われる人もいるだろうが、ボクにとって事実はどうでも良いものである。そこから自分が何を嗅ぎ取るか、それが「あぁそうか!」というひらめきに至るまでの一歩一歩こそが意義が高い。
(中略)
これがボクの音楽への基本的な対応の仕方である、とは言え、ストーンズほど長く深くつきあえる対象はない。音楽を聴き始めた、思春期の初期の段階で出会ったからとも言えるが、同様に好んでいたビートルズなどは、今ほとんど興味が持てない(ジョン・レノンがあまり好きでない)し、同じように語られるスーパーロックグループにも強い関心は持っていない。それが何故か、と考えることこそ自分という人間を深めていく糸口になる。(考えてみれば、ボク自身はストーンズ的人間のイメージからは程遠い。あれこれ毎日考え続けているし、ドラッグどころかお酒もほとんど飲まないし、派手に騒いでいるよりもウチでくつろいでいる方が好きだし。)

Don’s New Directions 2011-01-14の記事「一点集中傾向について。」より引用。

ああ、もう分かりすぎます。ストーンズに限らず、ショパンでもグールドでも好きな音楽って、すべてが「栄養」なんですよね。彼らの音楽を聴くことももちろん最高に楽しいことなんですが、それに勝るとも劣らないほど、彼らの人生観や音楽観をあれこれ考えることも楽しいんですよね。そして、それは「自分」を見つめることでもある。

ローリング・ストーンズに “Shine A Light” というライブ・ムービーがあります。その映画についての彼の評。

映画はただストーンズのライブを写しただけのものです。ドキュメンタリーによくあるような楽屋裏が覗けるような話もありません。実際のところ話なんてまったくないようなものです。にもかかわらず、これは物凄く素晴らしい映画だと思います。このブログを読む人は無条件にみんな観に行った方が良いと思います。

この映画は観る人が全てなのだと思います。あの人達(ストーンズ)があの年で、ああいう事をやっているという所にどんな意味が見出せるかは、観る人の人生の見方(あるいは生き方、あるいは態度)に左右されるでしょう。音楽そのもの、その表情、態度と、彼らは実に雄弁に語りかけてきます。それは本当に圧倒的な量なのだけど、それを読み取る事をしない人には、TVでも見る事ができるただのライブ映像に過ぎないかもしない。「何を読み取るか」というのは、すごく能動的な行為なので、常に受動的にしか行動してない人間には難しいでしょう。(「さぁ、何かやってくれよ。何かとんでもないライブやってくれよ。なんだただのジジイの演奏じゃないか。しかもヘタクソだなー。こんなの過去の栄光にすがってるだけじゃないの?」)ストーンズのメンバーがあの年齢であのようにあのような音楽をやっているというのは、その人生を背中に背負っている事を考えると、本当に感動的です。事実ボクは上映中に何度となく泣きそうになってしまう。それは曲そのものとはまったく関係がなく、もっと複雑に様々な感情が揺さぶられているからで、ストーンズが演奏する場面を通して感じる事で、自分の人生に泣くようなものなのだと思います。「キース、良くやってんなー。」というのは「オレも良くやってるよ。」という感情と同じなのです。

Don’s New Directions 2008-12-16の記事「The Rolling Stones “Shine A Light”の観方。」より引用。(文字着色はブログ執筆者)

読解、それは文章を読むことに尽きるものではないと思っています。映画を見る、音楽を聴く、人の話を聞いて趣旨を理解する、他人の表情を見る、交通の動きを読む、あらゆる局面で必要とされる、人間に必須の営為。

「表現」と違って「読解」は受動的な行為だと思っている人が多いけれど、それは大きな間違いである。「読解」は極めて能動的な行為である。「何を読み取るか・読み取れるか」というのは、その人の知性だけではなく意欲や努力や経験によって大きく左右される。

そんな風に私も常々考えている(そして指導もさせてもらっている)んですが、ドン・マツオ氏も全く同じ考えをしていらっしゃるんだと思います。表現者たる彼が言うと、さらに説得的ですよね。

仕事柄、幼い子供たちに「読解」を教える機会が毎日のようにありますが、文章(もっといえば勉強そのもの)に対して「受動的」になってしまっている子が多い気がしています。筆者の真の意図をつかむためにも、もっと能動的になってほしいと願っています。

Rolling Stones – Jumpin’ Jack Flash (Beacon Theatre, NYC 2006)

“Shine A Light”から。 “Jumpin’ Jack Flash” は昔から私のテーマ曲なんですが(笑)、何かを読み取っていただけるでしょうか?在りし日のチャーリーの姿がまぶしい映像です。