ジョアン・ジルベルトは芭蕉。ボサノヴァは俳句。

塾の方は夏期繁忙期に突入いたしておりまして、なかなか忙しい日々を送っております。まあ、そういう時に限ってたくさんコミックを買い込んで読んだりしてしまうんですけれども。現実逃避ですね。

さて、7月6日に亡くなったジョアン・ジルベルトについて。ボサノヴァの創始者にして、至高の音楽家。

もう何年前になるでしょうか、まだ出たばかりのiPodを利用していた頃の話。当時のiPodは記憶容量が小さかったため、所有する音楽をすべてインストールすることはおろか、お気に入りの音楽をある程度だけ入れておくのも難しかったんですよね。買ったばかりのCDもリッピングして入れたいし、繰り返し聴く定番は外せないし、でもこれだけ入れると容量オーバーだし……という感じで、いつも入れておく曲についての悩みは尽きないのでした。

ただ、別格中の別格という音盤や音楽家は存在します。これだけは何があっても削除しない絶対領域。例えば、グレン・グールドのバッハ(ゴルトベルク変奏曲とかイタリア組曲とか)、ピリスのモーツァルトピアノソナタ集、マイルス・デイビスのいくつかの作品、ハロルド・バッドの初期作品、ドゥルッティ・コラムの初期作品などなど。

自分の中の座標軸のような音楽で、事あるごとに立ち返る作品類。何度聴いても飽きないし、多分死ぬまで聴く作品群です。

その中でも最重要作品として、一度たりとも削除したことのない作品が、ジョアン・ジルベルトのベスト盤。ボサノヴァの美しさが凝縮された宝石のような楽曲集。そもそもiPodが発売される前から、何枚もCD-Rにコピーして、車の中に置いておいたり、旅行カバンのなかに入れておいたりという感じで、どこでも聴ける状態にしていたぐらい。ほとんど「生活必需品」としての扱いです(笑)。

誰かがどこかに書いていました。ジョアン・ジルベルトの音楽は「天国に一番近い音楽」だと。その通りだと思います。いや、「天国で流れている音楽」そのものかもしれません。

とにかく潔くて、さわやかで、美しくて、切なくて、滑らかで、奥深くて、非の打ち所がありません。清冽な水の流れを眺めているような音楽。

例えば、次の曲を聴いてみてください。

João Gilberto – 1 – Chega de Saudade

この曲、たったの2分なんです。私はいつもこの曲の短さに目まいがする思いがします。普通、これほどの美しいメロディを思い付いたら、もっと長い作品にしたくなりませんか?それを必要最小限の音数と時間に抑え込む。この潔さがボサノヴァのスタート地点であり、本質。

だからこそ、何度も何度も聴きたくなる。高級料亭というものは、客人にあえて物足りない量の料理しか供しないという話を聞いたことがありますが(縁がないので伝聞形です(笑))、それと同じですね。文学で言えば「俳句」。超短詩のなかに全てが収められている。ジョアン・ジルベルトは芭蕉。ボサノヴァは俳句。

この「Chega de Saudade (想いあふれて)」、作詞者はヴィニシウス・ヂ・モライスという人なんですが、オックスフォード大学卒の外交官で作詞家という変わり種のブラジル人。作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン。何かが勃興する時って、天才的な人が沸き出てくることがありますが、ボサノヴァというブラジル音楽は、まさにこの3人の天才を得るという大きな幸運によって生まれたといっていいと思います。

これからもジョアン・ジルベルトの音楽が滅びることはないでしょう。いや、絶対にあり得ないと断言しておきたいと思います。