国語豆知識「魘される」

本日の記事のタイトル、お読みいただけましたでしょうか?「魘される」は「うなされる」と読みます。漢検1級だと、これぐらいの漢字は書けないとダメなんですよ、エヘン。

この「うなされる」という言葉、漢字で見ると何だかおどろおどろしいムード満載でいいんですよね。

まず「鬼」のパーツから。漢文に出てくる「鬼」は、日本の「鬼」とは異なり、「霊」に近いイメージがあります。

「厭」の方は、漢辞海を見ると音を表すと書いてありますが、おそらくイメージ的にも「うなされる」に通じるものがあります。というのも、この「厭」という字には、「いとう・嫌悪する」という意味もありますが(厭世・厭戦などを想起して下さい)、「おす・上からおさえる」という意味もあるんですよね。

二つの文字を合わせてイメージすると、「死霊が生者の上にのしかかって苦しませ、何かをうめかせている」という感じですね。恐ろしや。

上記のようなイメージからすると、「うなされる」という言葉には「受身」的な感じがあるわけで、「動詞うなす」+「助動詞れる」という文法的構成が思い浮かびます。

ただ、「うなす」という動詞は、日本国語大辞典を見ても、古語辞典を見ても掲載されておらず、「うなされる」という動詞しか登録がありません。

つまり、国語学的には、「動詞うなす」+「助動詞れる」という文法的構成は間違いで、「うなされる」という一語の動詞として捉えるべきだということになるでしょう。

ただ、何となく前者の文法的理解は捨てがたい気がします。実際の用例がない以上、辞書にも登録できなかっただけなのかもしれません。「うなされる」のは人間なので、用例は見つけやすいでしょうが、「うなす」のは鬼=霊なので、なかなか用例が見つからないとかじゃないだろうか……。屁理屈かなあ。


それはさておき、体調の悪い時って、悪夢を見てうなされる事がありませんか?私は時々あるんですが、そんな時に発している言葉も年齢につれて変化してきました。

幼い頃は、助けを呼ぶように「お父さん」とか「お母さん」(さらに幼い時は「パパ」「ママ」)とうなされていた覚えがあります。

長じて彼女・妻ができると、次はその人の名を呼ぶようになりました。これは、守って欲しい・助けて欲しいという気持ちもあるとは思うんですが、悪夢の中で大切な人を守らないと、という気持ちがあっての事だと思います。

怖い夢から目覚めて、横にいつもと変わりない妻の寝顔を見る。そして安心して再び眠りにつく。なんてことが、今までに何度もありました。

しかし、息子が生まれて以来、うなされて呼ぶのはいつも彼の名前になりました。やっぱり「守ってやらないと」という気持ちが心のどこかに強くあるんでしょうね。中学生の息子に助けてもらう・守ってもらうほど、まだ衰えてはいませんし(笑)。

ただ、自分が老いを得て病に伏せる日が来た時、うなされて誰の名前を呼ぶのか、自分でも興味があります。あちらの世界にいる父を呼ぶのか、妻の名を呼ぶのか、はたまた息子に頼る気持ちが生まれて息子の名を呼ぶのか。

そういう時、ちょっと惚けてきて知らない女性の名を呼んだりすると、修羅場が訪れるでしょうから、気をつけないとなりませんね(笑)。