時は流れ人はまた去る 思い出だけを残して

毎日仕事と雑用に追われつつも、感動することがあったり、悲しみがあったり、笑いがあったり。今日はとりとめもなくあれこれと。

中村吉右衛門がお亡くなりに。立派な役者さんでした。祖母と京都南座で見た「幡随院長兵衛」を今でも昨日のように思いだします。スラリとした姿、音吐朗々切れ味の良い台詞。彼を舞台の上で見ることはもう叶いません。

少し前の話になりますが、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツが亡くなった時も同じ感傷を覚えました。

ローリング・ストーンズの音楽はおそらく中学生ぐらいから聴いていますから、もう40年近い付き合い。チャーリーの淡々としたセンスの良いドラミングがあってこそのミックとキース、そしてストーンズ。初来日コンサートを東京ドームで見ましたが、彼らのその日の姿は今も瞼に焼き付いています。若い頃からダンディで老成していたチャーリー。彼もまた、舞台の上で見ることはもう叶いません。

つくづく、無理をしてでも見たいものは見ておいた方がいいなと思います。中学生のころからライブを見るのが大好きなんですが(ライブは音楽を体験するのに最も適切な方法だ)、見て損したな、来なきゃ良かったな、なんてことはほとんど覚えがありません。

心にこれだけの感動を与えてくれるミュージシャンや俳優って凄いな、そして音楽や演劇ってなんて素晴らしい贈り物なのだろう。感謝することこそあれ、文句を付ける気なんてこれっぽっちも起きない。

感動を与えてくれた人達が生きていても感謝の念に堪えないのに、その人達が世を去ってしまえば、その念はさらに膨らみます。感謝の念というと少しズレがあるでしょうか。ごくごく一部ですが、自分の人生と彼らの人生が同じ場所・同じ時間をリアルに共有した奇跡。その奇跡に思いを馳せるようになると言った方が正確ですね。

今は亡きあの人の発した声、発した音、ふと見せた表情、佇まい。それらがただただ慕わしい。

掛け値なし・正真正銘の天才プリンス。彼の初来日コンサートはまるで祝祭のようでした。ライブは彼の天才性が遺憾なく発揮される場。あの日の大阪城ホールにいた観客は全員「信者」になったはず。

佐久間正英さんの逝去直前のライブは、末期癌を公表されていたこともあり、ご本人も観客も遠からぬ死を見すえてのものでした。早川義夫さんとの「からっぽの世界」が今も耳にこだまします。

文楽の(先代)吉田玉男師の遣う人形も幾度見たか分かりませんが、あの上品な所作が今も目に浮かびます。徳兵衛の悲哀、忠兵衛の切迫、碇知盛の迫力。人間を理解するというのはこういうことだと知らされ、自分は何も他者のことを理解できていない事を思い知らされました。

BOGUMBOSのどんとは音楽の先輩のように思えた人でしたが、若くして急逝。楽しいライブだったな。今も彼のメッセージは古びていないと思います。

JAGATARAの江戸アケミが急逝したのは、ライブを見て数ヶ月後のこと。本当にパワフルなライブでした(確か心斎橋のクラブクワトロだったはず)。彼らの音楽はこれからも何度も見直されるだろうと思います。

江戸アケミの残した歌詞に「時は流れ人はまた去る 思い出だけを残して」(「みちくさ」)というフレーズがありますが、最初は何とも思わなかったそのフレーズ、年を取るにつれて心の中で重みを増してきています。

先日は17年ぶりに再結成なったナンバーガールのライブを見てきました。ナンバーガールはリアルタイムで聴いていましたが、ライブを見る機会がないままに解散。残念な思いでいましたが、ようやく自分で体験する機会が訪れました。先述の「同じ場所・同じ時間をリアルに共有する奇跡」です。轟音の奔流に一期一会の感慨を噛みしめる一夜でした。

会いたい人には会っておく、見たいものは見ておく、行きたいところには行っておく。限られたいのちを宿命づけられた人間にとって、本当に大切なルールだと思っています。