さくらももこの随筆と詩情

皆さん、台風の被害に遭われなかったでしょうか?被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。

しかし、本当に驚くほどの強風でしたよね。大阪で今までに体験したことのないレベルの風だと思っていましたが、報道によると60年弱ぶりの強風だそうで。

当方、ほんの少々家屋に被害は出ましたが、笑って済ませられるレベルでした。近所では大規模な停電が発生していたらしいんですが(玉造交差点も信号機が全面停止して警察官が交通整理をしていた模様)、当塾は停電に悩まされることもなく、とりあえずは胸をなで下ろしているところです。


さて、本題。

先日、さくらももこさんが亡くなられたことが大きなニュースになりましたよね。享年53とのことですから、早すぎる逝去です。

彼女の作品は、多分デビュー当初の頃から目を通していたと思います。少女漫画好きの私は、妹の買ってくる「りぼん」や「別冊マーガレット」をいつも借りて読んでいたんですが(買えよ)、いま思えば「りぼん」って、結構攻めの姿勢の少女漫画雑誌だったなと分かります。岡田あーみんの『お父さんは心配症』が掲載されていたり(分かる人だけ分かって下さい)。

『ちびまる子ちゃん』の前身とも言えるようなエッセイ的漫画が、初めて読んださくらももこさんの作品だったように記憶するんですが、彼女の平面的な絵は、どう考えても当時の少女漫画的なセオリーに乗っかったものではありませんでした。よく言えば新鮮、悪く言えば違和感があったような覚えがあります。「りぼん」という少女漫画雑誌は、なかなか度量が大きい雑誌だったのではなかろうか。

『ちびまる子ちゃん』はあれよあれよと売れてゆき、国民的人気を博するようになりました。単行本で『ちびまる子ちゃん』をまとめて読んだのは、大学生の頃でしたでしょうか。それ以来、彼女の漫画とはあまり縁がなくなって、幾年もが経ちました。

その間に、妻から借りたのでしたか、エッセイも数冊読んでいます。私が書いておきたいのは、この辺りの話。


先日、近所のまちライブラリー(市民が作る図書館とでも言うべき場所、カフェが併設されているので時々利用しています。詳しくはこちら)を訪れた際、さくらももこさんのコーナーが作られておりまして、『漫画版ひとりずもう上巻』が置かれていました。

そうそう、これ読みたかったんだよね。ピザをつまみながらのんびり本を読む時間は最高の一時です。読んでみると、内容に既視感があります。おそらく、漫画版でない方をどこかで読んだんでしょう。ただ、それで面白くないかというとそんなことは全然ありません。むしろ、ものすごく面白い。

この彼女の自伝的な漫画、上巻はさくら氏が小学校5年生頃から高校1年生頃の話が集められているんですが、すごく詩情に溢れているんですよね。何ということのない少女期のエピソードが描かれているんですが、そのどれもが「詩」たりえている。

何もせずにのんびりしたり、家の自室で絵を描いたり、ラジオを聴いたりするのが大好きな内向的な少女。母親に家業の青果店を手伝えと言われても「のんびりするのに忙しい」と断るぐらいです。「勉強してえらくなろう」とか「美人になろう」とか、そうした上昇指向は完全になし。

随筆のうまい人って、物事との距離の取り方が抜群にうまい人が多いと思うんですが、彼女はまさにそのタイプ。少なくとも、その表現物の上からは、気に入ったものに没入するでもなく、かといって距離を置くわけでもないというスタンスが感じ取れます。適切な距離感をもって観察し好奇心を抱く。

菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が『更級日記』で見せるような、一種偏執狂的な情熱ではなく、清少納言が『枕草子』で見せるのに近いウィット(機知・理性)やクールネスがある。

そうした才能の萌芽が、幼い頃の彼女に既に見られるような気がします。さくら氏には、小論文模試で「現代の清少納言」と評されたという有名なエピソードがあるんですが、その採点者、本当に眼力高いわ。

高1の夏休みのある一日。いつも母親に前髪を切ってもらっていた「ねんねな」彼女は、お金をもらって美容室に出かけます。すぐに美容室に向かう気もせず、知らない道を散歩していると、見知らぬ美容室が一軒。

お店に入ってみると、プロ的な店ではなく、内装等にどこか素人っぽいムードが漂っています。でも、それが悪くない。居心地が良い。オーナーらしき気のいい感じの年配女性が出てきます。「あらあら、お嬢ちゃん、よくこんなところを見つけてくれましたね。」気に入ったようにカットしてくれて、料金も安くしてくれる女性。逆に「来てくれて嬉しいわ、ありがとう」なんて言われて。

こんな少し嬉しい日は、海でも見に行こうかな(彼女の生まれは静岡県清水なのです)。海に向かって歩いていると、高校の友人に出会う。久しぶり〜。どうしてたの?そうだ、近くに海の見えるいい喫茶店があるから一緒に行かない?行こう行こう!

海辺のカフェで何ということのない雑談をしながら楽しく過ごす一時。こんな日がずっとずっと続けばいいな。

……といった話が彼女独特の画風でつづられてゆきます。何かね、このエピソード、すごくよくて二回読んでしまいました。私の乙女心の琴線に強く触れるんです(笑)。


この『ひとりずもう』、小学5年生の彼女が保健の授業で「生理」について学び、近々始まるとされる「生理」に恐れおののくところから始まります。そのことで頭がいっぱいになってしまう彼女は、毎晩寝る前に「私には一生、生理がおとずれませんように」とお祈りをするほどです。そして、胸が大きくなれば生理も始まってしまいやすいのではないかと考え、胸が大きくならぬよう、うつぶせになって眠る。

そこにかいま見えるのは、自分の肉体に起こる変化を峻拒する姿勢です。少なくとも身体はいつまでも少女のままでありたい、いつまでも大人にならず温かい家庭に庇護される存在でありたい。

そうした姿勢というのは、齢を重ねてもあまり変わらないのではないかと私などは思うんですが、そうだとすれば、彼女が乳がんを患った際の精神的苦痛はいかほどであったか。ましてや、一人息子に対する責任を負う立場であってみれば。

さくら氏が終末期には、いわゆる癌の標準治療を退けて、民間療法を受けていたという報道がありましたが、その理由は上記のようなエッセイ的漫画からも読み取れるような気がします。

私は医療関係者ではありませんので、どのような治療がよいのかを論評することは出来ません。ただ、さくら氏の晩年のQOLが高いものであったことを願うばかりです。

世間のほとぼりが冷めたら、未読の『COJI-COJI』を読もうと思っています。