竹内真『自転車少年記』

生徒さんが受験した模試の問題や答案を個別的に見て、質問に答えたりアドバイスしたりすることは、私の日常的な業務の一つ。その際に、興味深い出題文に出会うことがあります。役得の一つかもしれません。

竹内真『自転車少年記』はどこかの中学入試問題でも見かけたことがあり、興味を持っていたんですが、模試で再び見かけたので購入してみました。

自転車少年記―あの風の中へ (新潮文庫)
竹内真

自転車少年記―あの風の中へ (新潮文庫)

読み始めると面白くて、一気に最後まで「走り」ました。自転車を軸とした小説なので、登場人物と一緒に「走っている」気分になる小説なんです。

典型的な「教養小説」、つまり、登場人物が自己を形成し成長してゆく物語なんですが、私はこの類型の小説が大好きです。仕事自体が、生徒の成長と大きく関係していますし、自分自身まだまだ成長せねばならない身分ですしね。帯には「爽快無類の成長小説」とありましたが、偽りなし。

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主人公は昇平と草太の二人。はい、登場人物にマークを付けておこうね〜。いやいや、授業じゃないので気楽に読もう(笑)。

主人公の二人が4歳、幼稚園児の頃からストーリーは始まります。昇平が自転車の練習をしていて、極めて危険な失敗を犯すんですが、それが二人の最初の出会い。下り坂でコントロールを失った自転車が草太の家に突っ込むんですが、このシーンから既に二人の性格、したがって成長の道筋が暗示されています。

もちろん、読み始めたときには、そんなことは知る由もありません。でも、彼らが30歳手前になるまでの遍歴・成長を見届けてみると、出会いのシーンが必然性をもったものに思えてきます。入試や模試で出題されているのは、このシーンの近辺ですね。

やや無鉄砲なところがあるが社交性の高い昇平、穏やかな性格で努力を惜しまない沈思黙考型の草太はとてもいいコンビ。小説内だけではなく、こういう人物のコンビは安定性が高いと思います。勉強に向いているのは後者の草太だと思うんですが(実際、小説の中でも一心に勉強するシーンがある)、社会に出たとき、どちらがうまく世を渡ってゆくかはまた別論。それが人生の面白いところです。

大人の私からすると、大学生から社会人の頃の彼らも面白いんですが、仕事や異性関係の話が大きくなってくるので、小学生が読んで面白いのは前半部分じゃないかと思います。そのあたりを少しご紹介します。

小学生になった彼らは、特訓山での冒険を経て、海への冒険に出かけるんですが、このシーンが特に男心をくすぐります。

小学1年生の頃。二人は校則を破って自転車で校区外に出かけ、道に迷いながら必死で「特訓山」にたどり着きます。しかし、その「特訓山」も、小学4年生になった彼らにとっては、今や気軽に出かけられる場所となっています。

「ショーちゃん、今は特訓山を遠いとは思わないだろ?」
「当たり前だろ。あそこが遠いと思ったのなんて、一年の時だけだって」
「でもさ、もしも今でも特訓山に行ったことなかったら、やっぱり遠いって思う気がするんだ」
「……まあ、そうかもしんないけど」
「だからさ、もっとずっとずっと遠くに行ってみたら、そこも遠いとは思わなくなると思うんだ」
「海でもか?」
「海だってどこだって、自転車で行けるようになれば、きっと自分の縄張りみたいになると思うんだ。どんどん遠くに行けば、どんどん縄張りが広がってさ」
「縄張りかー!」
(中略)
「だからさ、思うんだ」
熱にうかされたような気分で、草太はさっきの言葉をもう一度繰り返した。
「自転車で、どこまで行けるか試してみたいって」

竹内真『自転車少年記』より引用

男の子の持つ冒険心が本当によくあらわれています。10km以上離れた海への冒険は、結局失敗に終わるんですが、その苦い味わいもまた「成長物語」らしくていい。人間は冒険したり失敗したりしないとね。

上記の小学生二人の気持ち、よくわかるんですよね。私がバイクに乗るのと同じ気持ちなんです。私も大人ですから、さすがに近隣の海ぐらいで「縄張り」が広がった感覚は持てませんが、「鹿児島までフラッとかき氷を食べに行く」とか、「青森の海をひょいと見にいく」なんていうのが好きなのは、どこか「縄張り拡大本能」と関係があるのかもしれません。いや、あんまり成長していないだけなのかな……(笑)。

自転車であれバイクであれ、「風」がポイントなんだと思います。この『自転車少年記』も、要所要所で「風」の描写が織り込まれます。「風」がないと、自力でたどり着いた感じがしないんですよね。電車、ダメ。飛行機、ダメ。自動車、ダメ。安楽すぎる乗り物は(移動手段としてなら別論)、楽しみがありません。自力で苦心してたどり着かない限り、「縄張り」が広がった感覚は持てないようです。

(ちなみに私の「縄張り」は本州・四国・九州の45都府県。北海道と沖縄だけはまだ自分のバイクで走ったことがありません。)

彼らのこの冒険感覚は、大人になっても続きます。大学生になった草太は、自転車で300km走破する「八海ラン」と称するイベントを立ち上げて成功に導くんですが、そのくだりがとても自然でいいんです。イベントまずありきではなく、楽しく(&苦しく)走る行為が自然に人の輪を広げてゆき、いつしか大きな大会になっている。理想的だと思いました。

最近の小説には珍しく、400ページ超なのに、小さめの活字で二段組みの体裁になっているのも私好み(字がギチギチに詰まっている本が大好きです)。それでいて、文章に勢いがあるのでスルスルと読めます。以前、恩田陸の『夜のピクニック』を妻からもらって読みましたが、よく似た読後感を覚えます。

上質な成長物語って、やっぱりいいなあ。