理想的な授業

私の仕事の中心部分は、生徒に勉強を教えることですが、教えるべき中身が毎年大幅に変わるというわけではないため、ややもするとマンネリズムに陥りがちです。

もちろん、教わる側からすると、初めて学ぶ内容ですから、当方もできる限り新鮮な気持ちで取り組むようにしないとなりません。そもそも私自身としても、ある程度新鮮味がなければ、仕事が退屈で堪りません(ちょっと贅沢でしょうか?)。

そんなこともあって、「理想的な授業」って、どんなものなのだろう、ということをよく考えるんですが、結局は、教わる生徒の資質やニーズという要素が、その内容を決定するのでしょう。つまり、「万人に妥当する『理想的な授業』」というものは存在せず、「ある生徒に妥当する『理想的な授業』」というものがあるにすぎない。

そういう意味で、授業の質を決める本質的な部分は、教える側が、教わる側の資質や才能を考え、ニーズをくみ取り、それに誠心誠意応えていくというところにあるんじゃないでしょうか。


抽象的な話で分かりにくいですね。今日は YouTube で発見した、「理想的授業」の具体的な一例をご紹介したいと思います。

Katsaris Chopin Masterclass Vol.3 Fantaisie Impromptu Op.66 1of4

Cyprien Katsaris (シプリアン・カツァリス)という、天才的技能を有するピアニストがいるんですが(私もファンです)、そのカツァリスの指導風景です。

この映像を初めて見たとき、「こんな素晴らしい先生に習えば、私でも少しはピアノが弾けるようになるかも」などという、あり得ない感想を持ったほどです。ちなみに、私は全く楽器が弾けません(笑)。

映像を見てもらうのが一番早いんですが、私が感心するポイントを少々記しておきます。

まず最初に聞こえてくるのが、ショパンの幻想即興曲(Op.66)。あまりにも有名な曲なので、ショパンファンならずとも、一度は耳にされたことがあるかと思います。

生前のショパンは、この曲を公表しないようにと言い残していたんですが、彼の死後、友人のフォンタナがショパンの遺志に背いて出版したんですね。フォンタナに感謝だよな~って、話がそれてしまいました。

話を元に戻すと、最初に聞こえてくる幻想即興曲、確かにうまいんですが、なにか杓子定規な感じで表情に乏しい。よく自動演奏のピアノにあるような感じです。で、カメラが楽譜から演奏者に移る。なるほど、子供が演奏しているんだ!児童演奏だ!(ダジャレ、すいません。)

演奏を止めたカツァリス先生は、まずこの曲の趣旨を説明します。そうですよね、やはり教える側は、まず学ぶ対象の全体像を示すべきだと私も思います。

カツァリス先生のすごさは、曲をビジュアル的にイメージさせた上で、とても具体的に指示を出しているところです。「木の葉が揺れ動くイメージ」「風がメリハリを付けて吹くイメージ」、見ているだけの私までも、この曲に対するイメージが広がります。その一方で、生徒への指示は極めて具体的です。ペダルの踏み方、運指のドリルなど、とても分かりやすく指示が出されます。

これは、カツァリス先生の優れた指導力、つまり、曲想を理解し伝える能力、生徒の抱える問題点を一瞬で見抜く能力、そして、問題点に即した練習を即座に指示できる能力によるものでしょう。

加えて、カツァリス先生は、有名ピアニストであるにもかかわらず、生徒の側に立って、押しつけがましくなくニコニコと指導してくれます。生徒からしても、威圧感を覚えずリラックスして学べますよね。(他のピアニストのマスタークラスの映像もいくつか見たことがありますが、中には音大生が恐怖と緊張で震え上がっているような授業もあります。)

生徒も恐ろしく呑み込みの早い子でして、あっという間に演奏のレベルが上がっているのがお分かりいただけるかと思うんですが、そういう意味でも、極めて幸せな「理想的授業」の一こまだと私は思います。

私も、生徒に教える立場にある以上、少しでもこういう域に達したいものだと思います。勉強勉強。