さようなら万葉集

万葉集全編を読み終えました。

もちろん、学生時代に著名な歌・重要な歌は読んだことがありました。万葉の息吹を今に伝えるそれらの歌は、ストレートかつロマンティック。奈良時代から投げられたロマンの豪速球をバシッと受け止められた時、何とも言えない快感がありました。

万葉集を、「結ぼほれた心が解かれる青春の和歌集」と評していらっしゃったのは、確か犬養孝先生であったかと記憶するんですが、まことにその通りだと思います。結ぼほれた(=鬱屈した)心が解放されるという評価は、文学に対する最高級の褒め言葉でしょう。

そんなわけで、いつか全編を読んでみたいものだと思いつつ幾歳月。思うところあって読み始めたのがほぼ3年前でした。足かけ3年にわたって読んできたことになります。

万葉集を少しずつ | 国語塾・宮田塾のブログ

もちろん、毎日読んでいたわけではありません。半年以上放置してみたり、集中して読んでみたり。あくまでも何冊か併読している書籍の一部という位置づけでしたし、万葉集に親しむ場が主にお風呂場ということもあって(笑)、のんびりと付き合ってきました。

奈良時代の和歌集ですから、読み通しにくさは並大抵ではありません。注釈を読んでも腑に落ちない表現は多数。研究者でもよく分からない部分が多数あるわけですから、仕方がないんですけどね。

また、全部で4500首ある大歌集ですので、それぞれの和歌との付き合い方にはどうしても濃淡が付いてしまいました。あっさり読み流した歌もあれば、じっくり語釈の隅々にまで目を通した歌もあります。私が読んでいた講談社文庫版の『万葉集』は、語釈や現代語訳が極めて小さい文字で書かれておりまして、それが和歌自体を素直に味わうという方向に導いてくれていたかもしれません。

全編を読み終わって思うのは、どこかに爽やかさのある和歌集だなということです。まさに「青春の和歌集」。それは奈良時代の人々のキャラクターから来ているのかもしれませんし、日本文化がそもそも持っている爽やかな性質に由来しているのかもしれません。

いずれにせよ、今の私にはちょっとした達成感と、ちょっとした喪失感があります。「あま(あまちゃん)ロス」とか「ましゃ(福山雅治)ロス」とか色々なロスを耳にしますが、私の場合は「万ロス」です。

万葉歌人とは少しお近づきになれたかもしれません。カッキー(柿本人麻呂)、アッキー(山部赤人)、ヤッキー(大伴家持)、オクラン(山上憶良)。畏れ多くも、あだ名で呼ばせていただいております(笑)。

万葉集、しばらくは断片的に読むだけの日々に戻ると思いますが、また爺さんになったらじっくり読み直す日が来るかもしれません。その時まで、さようなら、万葉集。