たまには万葉集の話でも。
この間、万葉集を流し読みしていた時に見つけた歌です。万葉集2633、詠み人知らず。現代語訳は中西進・講談社文庫版の万葉集から引用しました。
真澄鏡 手に取り持ちて 朝な朝な 見む時さへや 恋の繁けむ
(現代語訳) 真澄鏡を手にとって毎朝見る、そのようにいつもあなたが見られる時でも、あなたへの恋はしきりでしょう。
「真澄鏡」は「まそかがみ」と読みます。美しく澄み切った鏡のことです。奈良時代であれば、貴重なものであったことと思います。それを「朝な朝な」使うのですから、詠み人はそれなりに高貴な人だったのでしょうか。男が毎朝鏡を見るのもあまり詩的ではないので、ここは女性が毎朝鏡を見ていると考えるべきでしょう。
ここからは私の想像。うら若き女性が毎朝鏡を見ながら美しい黒髪をくしけずる。その時に想うのは愛しい恋人のこと。次に逢えるのは何時かしら。逢えないから想いがつのるんだと人は言うけれど、私の恋はそんな弱いものじゃない。あの人と一緒に暮らして、この真澄鏡のように毎朝毎朝会えるようになっても、この恋の激しさは少しも変わらないの。
実はこの和歌を読んで瞬間的に思い出したのは、アリサ・フランクリンの「I say a little prayer (小さな願い)」です。電気が走るように和歌とアリサ・フランクリンの歌がスパークしました。
Aretha Franklin – I say a little prayer ( Official song )
この歌、本当はバート・バカラックが作ってディオンヌ・ワーウィックが歌ったのが先ですが、やっぱり私にとっては昔から聴き続けてきたアリサのバージョン。
アリサ・フランクリンと言えば、The Queen of Soul と呼ばれることから分かるように、大御所中の大御所です。彼女の影響を受けていない黒人女性シンガーは皆無だと言ってもいいかもしれません(オバマ大統領の就任式にも彼女が出てきて祝いの歌を捧げていました)。
今ではずいぶん迫力のある(?)女性になったアリサですが、若い頃の彼女はこんなに可愛いくて純粋な歌を歌っていました。ここに現れる、若い乙女のいじらしい感情は、本当に永遠の命を持っていると感じます。
The moment I wake up
Before I put on my make up
I say a little prayer for you
While combing my hair now
And wondering what dress to wear now
I say a little prayer for you
(拙訳)
朝目覚めて
メイクアップするまでの間
あなたのために小さな祈りを捧げるの
髪をとかして
何を着て出かけようと思うときにも
あなたのために小さな祈りを捧げるの
鏡を見ながら愛しい人のことを想う若い乙女。万葉集と全く同じ着想ですよね。そうであれば、次の節で示される感情は、上記和歌の詠み人の気持ちと全く軌を一にするものだと言えるはず。
Forever and ever, you’ll stay in my heart and I will love you
Forever and ever, we never will part
Oh, how I love you
Together, together, that’s how it must be
To live without you would only mean heartbreak for me
つまり、永遠にあの人への愛が尽きることはない。
人の心は移ろいます。私も大人ですから、そんなことは百も承知です。でも、人には時に美しい感情が宿ることがあります。そして、その感情を昇華した作品は、古今東西を問わず人の胸を打つことも事実でしょう。
私はそんな作品に触れたくて、本を読んだり音楽を聴いたりしているのかもしれません。