『彰義隊遺聞』と松廼家露八

休暇を利用してちょっとリゾート地に来ております……なんてことはなく、近場に出かけたり、溜まっている雑用をこなしたり、本を読んだりしてお盆を過ごしております。

昨日読み終えた本から思ったことを少々。

森まゆみ / 彰義隊遺聞

森まゆみ氏の著作をたくさん読んでいるわけではありませんが、彼女の文章を目にするたび、センスの良い作家さんだなと思います。東京の下町の風情が眼前に広がる感じとでもいいますか。

東京の下町にあまり縁がない私、この著作で「谷根千(やねせん)」という言葉を初めて知りましたが、「谷中・根津・千駄木」の地をまとめてこう言うらしい。地図を見ると、上野駅の西側、東京国立博物館や上野動物園、東京芸大、東大、不忍池のあたりですね。

彰義隊や上野戦争というと、(特に関西人には)あまり思い入れのない人が多いように思います。上記著作の概要は次の通り。

慶応四(1868)年、江戸無血開城と徳川慶喜の処遇に不満を抱く旧幕臣たちによって結成された彰義隊は、武力討伐を狙う大村益次郎の指揮下、官軍による一日足らずの上野総攻撃で壊滅させられた。彼らは、本当に「烏合の衆」だったのか?町に残る「伝説」から、4ヶ月で消えた幻の戦闘集団の実像に迫る。

(Amazon紹介文より引用)

彰義隊があまりポピュラーでないのは、やっぱり一日で鎮圧されてしまったのが大きいでしょうね。ちょっとドラマ性に欠けているというか。参加したメンバーには「一発逆転、一山当ててやろう」的な人も多かったようで、そのあたりも何か生々しすぎる。

その点、新撰組はドラマティックですよね。幕末京都で浅葱色羽織の隊士が倒幕派志士と血みどろの格闘を演じる。しかも沖田・土方・近藤といったなかなかヒロイックな男達が出てきますしね。司馬遼太郎が小説にしたのも大きいでしょう。

令和の時代から冷静に見ると、彰義隊も新撰組も、「敗色濃厚な旧勢力側に与した、身分の低いあんまりスマートでない人達」という気がしなくもないんですが、それはちょっと厳しすぎる見方でしょうね。現代の高みに立って昔人の人生を評価するのはあまり上品じゃない。

ということで、はしがきにある「私の主意は地域史の掘り起こしと定着、そして逆賊とされ、『烏合の衆』と軽んじられ、一顧だにされない彰義隊の存在を世に伝えることである」という言葉に、私はさわやかなものを感じます。

彰義隊の逸話を直接肉親から聞いてきた古老達。彼・彼女らからの聞き書きを丁寧にまとめたこの著作は、幕末〜明治を生きた人々の様々な側面を描き出します。そりゃ人間なんですから、醜い側面もある。生きるか死ぬか、砲弾が飛び交う中じゃきれい事ばかり言っているわけには行きません。

ただやはりそんな時でも、誇り高く美しい人っているんですよね。生き残った隊士、松廼家露八(まつのやろはち,本名土肥庄次郎)はその一人。数奇な人生という表現がぴったりな人ですが、簡単な経歴は下記の通り。コトバンクより引用します。

幕臣・土肥半蔵の長男に生まれる。槍術、剣術を修業、一橋家中で評判を得たが、遊びを覚え吉原に入りびたり、勘当される。幕末の動乱のなかで荻江節の師匠となり幇間として各地を放浪。明治元年の上野彰義隊の戦いには参加したが箱館戦争には加われず、結局吉原に戻り幇間となる。その際荻江節を松廼家節と呼びかえ、松廼家節の家元として鑑札を受ける。芸が巧みで、元彰義隊士ということからもてはやされ、薩長の高官の前でたいこもちを続けた名物芸人。吉川英治「松のや露八」というモデル小説もある。

「薩長の高官の前でたいこもちを続けた」というのが凄まじい。旧幕派からすると憎んでも憎みきれない明治政府高官の前で男芸者を続けるなんて。幇間(ほうかん)とは、男芸者・太鼓持(たいこもち)という別名からも分かる通り、蔑視されがちな職だったはずですが、旧幕臣の家に生まれた人が堂々とその道を歩いてゆく。

彼が明治39年に亡くなった際、元彰義隊頭取の本多晋が寄せた言葉は、松廼家露八の人生を的確にすくい取ってみせています。長いけれど引用しますね。ここからはちょっと国語力要。

「余曾て翁の業を賤みしことありしが、倩々方今の世間を見れば、所謂顕官紳士なる者五斗米の為めに其腰を屈め、朝に郷党に驕て夕に権門に阿附し、賄を収めて公事を私し、巧に法網を潜て靦然恥ぢざる者少からず。翁や平素紅粉の輩に伍し、客を迎て頭を低るるは其分なり、諛言を献ずるは其業なり、弦歌舞踏は其芸に糊るなり、一も世に恥ることあるなし。余が是を賤みしは洒々落々たる其心事を知らざりしのみ。今や翁逝て再び相見る能はず、鳴呼悲哉」

森まゆみ『彰義隊遺聞』より引用

やっぱり昔のインテリは文章がうまい。細かい訳はしませんが、高官の醜さを徹底的にこき下ろすと共に、生業に心まで染まりきらなかった松廼家露八の高潔さ・洒脱さを称揚しています。

この年齢になると、「人生の美しさ」ってどんなところにあるんだろうと思うことがあるんですよね。道はまだまだ遠いですけれど……。