『古文の読解』小西甚一著・鹿島茂評 #1

今週の本棚 – 毎日jp(毎日新聞) からもう一つ。

今週の本棚:鹿島茂・評 『古文の読解』=小西甚一・著 – 毎日jp(毎日新聞)

上記参考書はかなり古典的な参考書でして、私が高校生の頃には、ほとんど使われていなかったように思います。もちろん、小西先生や『古文研究法』という書籍の存在は存じ上げておりましたが、その頃のトレンドからは外れていたため、小西先生の著作を持っておりませんでした。最近、『古文の読解』が文庫化されたということを知り、購入しようと思っていた矢先にこの書評に出会いました。

やはり並の参考書とは格が違う。では、どこがどう違うのか? 英・仏・中の外国語にも堪能だった著者だけあって、言語の本質から古文を捉(とら)えるという姿勢が一貫しているのである。
(上記記事より引用)

最近の甘っちょろい参考書とは全く次元が違います。小西先生は、そこら辺の塾・予備校講師とは違って、日本学士院賞を35歳の若さで受賞し、文化功労者にも選ばれたという、完全にアカデミズムの方なので当然かもしれませんが。

まだ購入していませんが、書評を読んで、小西先生の考え方に深く深く共感を覚えました。

まず、語義の覚え方について。「1 基本の意味だけ覚えこむ。2 用例ぐるみ覚える」。
(上記記事より引用)

そうです!英語もそうだと思いますが、特に古文単語は、「基本の意味」をしっかり押さえる→次に用例で確かめる、という手順が最も大切です。私が大学受験生を指導する際は、古文単語の「核(コア)」とよく表現しているんですが、古語はコアをしっかり押さえたら後は実際の用例で確かめるのが最もいい。

多義語とされるような古語も、基本の意味を押さえて、そこから解釈でそれぞれの意味を導きだす姿勢が最も合理的・思考経済的です。

ここで、小中学校の頃から培ってきた「国語力」が大きくモノを言います。国語力があれば、基本義から文脈に応じた訳語を考えてゆくことができるんですが(そしてそれは文脈に応じた適切かつこなれた現代語訳となる)、そうでない場合、多義語の意味をすべて丸暗記してゆくという苦行が待っています。しかも、文脈を捉える力が乏しいわけですから、暗記した意義から適切な意義を選択することが出来ない可能性が非常に高い。

これは英語の学習にも通じる考えでして、国語力が本当に大事なんだよ、としつこく生徒に言っている所以でもあります。「国語力を身に付けると、算数の文章題もすらすら読めるよ」と生徒には言っていますが、本当はそんなチャチなものではありません。もっと根本的な言語力・理解力こそを「国語力」だと、私は規定したいですね。

長くなったので、パート2へ。