「集団的自衛権」と「勉強の必要性」

先日、世論を二分した法案が可決されました。普通の憲法観からすれば合憲であるとは言いがたい内容です。是非・価値判断は別として、法解釈学からすれば、集団的自衛権はどう頑張っても日本国憲法からは導き出しえない。

憲法学の著名な先生方がこぞってその違憲性を主張し、内閣法制局長官OB(いわゆる「体制側解釈」のトップだった人)までもがその違憲性を明言していました。そりゃそうでしょう。「解釈」の範囲を大きく逸脱しているんですから。

私は集団的自衛権の是非を言いたいのではありません。それは各人の政治的見解の話であり、塾ブログの扱うべき範疇の外です。

私の言いたいのは「解釈」のずさんさ・無神経さです。当たり前ですが、法解釈も文章読解・解釈の一つ。「文章の中に書かれていないこと」や「文章の内容に矛盾すること」を文章から読み取ってはなりません。もし上記のような事柄を「読み取る」ならば、それは「解釈」ではなく「改変」「歪曲」です。


センター試験であれ、中学入試であれ、塾の生徒にはしつこく言っています。「文章中に書いていないことは書いていない。勝手に自分で付け足したり、内容を変えてはいけない。」

理屈の上から言えば、上記のことさえ徹底できれば、記号選択問題は満点のはずなんです。極論すれば、記号選択問題は「文章中に書いてあったか・書いていなかったか」を判定するだけですから。

模試や入試なら、個人の問題です。しかし、今回のむりやりな憲法「解釈」は全国民レベルの問題です。直ちに生活の何かが変化するというわけではありませんが、長い目で見たとき、じわじわと変化は押し寄せてくるでしょう。

私とて日本国憲法を「不磨の大典」なんて思っているわけではありません。硬性憲法(改正に厳格な手順を要する憲法のことです)の求める手順に従うならば、憲法改正があっても全く構わない。

しかし、国の最高法規の解釈をいとも簡単に間違ってしまう人びと、または意図的に間違って平然としている人びとの無神経さには、驚きを禁じ得ません。入試の世界で言えば、「選択問題全落とし」というようなレベルですから。


書いているうちに少し長くなってしまいました。私が時の与党の憲法解釈を云々してもべつに何も変わりませんよね(笑)。

塾を運営する者として言いたいことは次の通りです。

悪いことは言いません。あなたが子ども・学生なら、頑張って勉強して下さい。あなたが子を持つ親なら、子どもを勉強するように仕向けて下さい。そして、選択肢を幅広く持てるように。

公の場で詳しい理由を述べることは不適切でしょうから、もどかしい気はしつつも言及しないでおきます。ただ、この日本で生きていこうとする限り、勉強することの重要性は飛躍的に高まったのだと思います。

「集団的自衛権」と「勉強の必要性」の関係は、今すぐ問題になる話ではありません。しかし、あと10〜20年も経てばリアルな問題になってくる可能性があります。勉強しつつ・させつつその時に備える、それが私達にできる唯一の方法でしょう。