幽霊・ヒュードロドロ

夏といえば怪談。なんか短絡的な連想だと思うんですが、世の中ではそういうものだと決まっているようで。

テクノロジーの進歩で、すっかり存在価値が薄れてしまったものがたくさんありますが、その最たるものは「心霊写真」だと思います。「心霊写真」なんてフォトショップで一丁上がり、ってなもんですから。

私が小学生の頃は心霊写真ブームだったのか、誰なりかが教室に「恐怖!怨念!心霊写真!」みたいな本を持ってきていまして、休み時間になると、寄ってたかって見ていた覚えがあります。子供心にも「ただのエンターテイメントだ」と思っていたので、「これめちゃオモロイ顔した霊やな〜」と茶化していると、女子に真剣に怒られたり。「宮田君!たたられるで!」(笑)。

いや、霊的存在はあっていいんです。私よりに先に亡くなった人びとに、いつかどこかで会えるといいなと思いますし、心のどこかで、それを望んでもいますから。ふと、亡くなった親族を想うときも、「どこにも存在しない人」とは考えません。ついつい、「今はどこでどうしているのかな」と考えてしまいます。

何と言えばいいのでしょう、心霊写真やテレビのワイドショーで取り上げられる「幽霊」「地縛霊」とかの類は、どこか安っぽいんですよね。霊って、もうちょっと高級なもんじゃないの?そう、魂とか哲学とかみたいな。

一万歩譲って、テレビに出てくるような「幽霊」が実在するとしても、何が怖いのかがよく分からない。そりゃ、首を絞められるとかなら苦しいから嫌ですが、うらめしそうな顔で部屋の隅に現れるぐらいなら別段気にするほどのことも無いような。気にするから気になるんじゃないのか。「あ、どうも。」でいいじゃん。

私が独り者なら、喜んで(そしてもちろん値切って)「事故物件」に住んでいたことと思います。人の死は決して特別なものじゃない、過度にタブー視すべきものじゃない。霊感ゼロの私は、「幽霊」に顔を踏んづけられても気付かないでしょうから、「こいつ、呪い甲斐のない奴だな!クソッ!呪ってやる!」みたいにキレられていたかも(笑)。

ま、人間の脳は見たいものを見るという構造になっているんでしょう。
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(ヒュ〜ドロドロ。この効果音は歌舞伎発祥。実際に歌舞伎舞台で何度か聞いたことがありますが、素晴らしい効果音だと思います。考えた人は偉い。)