三浦哲郎短編集『わくらば』『ふなうた』

毎日忙しく、ゆっくり読書をする暇もなかなか取れないんですが、そういう時こそお風呂読書。最近お風呂で読んだのは、三浦哲郎(みうらてつお)氏の短編集。新潮文庫『わくらば』『ふなうた』の2冊です。

わくらば―短篇集モザイク〈3〉(新潮文庫)
三浦哲郎

わくらば―短篇集モザイク〈3〉 (新潮文庫)

ふなうた―短篇集モザイク〈2〉(新潮文庫)
三浦哲郎

ふなうた―短篇集モザイク〈2〉 (新潮文庫)

三浦哲郎氏は私にとってあまり興味のない作家。でも、入試問題ではちらほら見かける作家さんですし(最近だとセンター試験にも出題された)、一度読もうかなと思った次第。

まとめて読んでみて感じたのは、強い違和。何か自分のセンス・世界観に合致しないものを感じました。

とても面白い筋立てで、小説として非常に完成度が高いのは間違いありません。彼の小説が、芥川賞を初めとして多くの賞を獲得したのも納得のいくところです。短篇は小説家としての実力が問われる形態だと思いますが、彼の短篇が非常に高い評価を得ていることも、文学としての完成度が高いことを証明していると思います。私も、それに何の異論もありません。

しかし、文学としての完成度が高いことと、自分の好みにフィットするかは、また別論。

とても美人で性格も良さそうな女優さん。別に嫌いではないけれど、どうも興味が持てない。そんな女優さんっていませんか?いや、お前がそんな好き嫌いを言える立場なのかと問われれば、全く反論できないんですが(笑)、それでもやはり、好みというのは極めて個人的なものだと思うんですよね。

私にとって、三浦哲郎氏は正にそういう作家。そしてそれは何故なのか、文章を読み進めながら考えます(そういうことを考えるのが好きなのです)。

おそらくですが、それは究極の地点において、家族や人生というものを信頼しているかいないかの違いにあるのではないか。私は家族や自らの人生を信頼していますし、それなくしてどうやってこの世の中をわたって行けようかと思っているんですが、三浦哲郎氏は何かその点において暗さが感じられます。いや、貶しているのではありません。そうした感覚に魅力を感じる人も多いはず。

小説の舞台として多く設定されるのは、東北と思しき寒村。都会的なオブラートを剥がされて、死や性がむき出しになっているような集落です。極めて文学的な設定だなと思う反面、その粘着的な陰鬱さが、どうも私の感覚に合いません。

以前にも書きましたが、私の特に好きな作家(幸田露伴・志賀直哉・岡本綺堂・菊池寛など)は、いくら暗い事実を描こうとも、どこかに人生への肯定感がある点で共通しています。

人生は見ようによってはとても陰鬱な暗いもの。死に向かう暗黒の道筋。しかしまた、見ようによっては気楽な享楽の旅路でもあります。同じ事なら、明るく人生を捉えたいなと。

そういう意味で、高杉晋作の「おもしろきこともなき世をおもしろく」という句に共感を覚え、きゃりーぱみゅぱみゅの「同じ空がどう見えるかは心の角度しだいだから」(つけまつける)という歌詞に賛同する次第。

少し話が逸れてしまいました。

三浦哲郎氏の人生観や文学観には、彼の家族の歴史が大きな影響を及ぼしているのだろうと思います。Wikipediaを見ると、こう記されています。

長兄 – 家業を手伝っていたが、1937年に失踪。
次兄 – 三浦の学費を支援していたが、事業に失敗し、1950年に失踪。
長姉 – 先天性色素欠乏症で弱視のため琴を習っていたが、1938年に服毒自殺。
二姉 – 女子高等師範学校の受験に失敗し、1937年に19歳で津軽海峡で投身自殺。
三姉 – 先天性色素欠乏症で弱視だったが、琴の師匠となり家計を支えた。

彼にとって小説や文学は、この家族の中で生きていくためのよすがだったのではないかと思うと、とても悲しく切ない気持ちになります。文学として好みではなくとも、私の心の中に何かを投げ込んでくる短編集でした。