活字中毒

とにかく活字を読むことを偏愛する人種がいます。活字がないと生きてゆけない、朝から晩まで活字を追いかけたい、といった人種です。活字のない環境に置かれることを考えると、並々ならぬ恐怖心を覚え、傍らには常に読むものが置かれている。食事時はもちろん、入浴時にも何かしら読んでいる。旅行に出かけても、観光はそこそこにして本ばかり読んでいたり…。

…はい、私のことです。

ちょっと自分でも良くないとは思うんですが、一種の中毒なんでしょう。もちろん、質の高い読み物に目を通すのが最高ですが、それが無理なら、何でもよいから活字に目をさらしたい、という感じです。

こうした人は、多数派ではないにせよ、一定数この世に存在するようです。故中島らも氏や、ラサール石井氏などは、著書だったかTVだったかで、カミングアウト(?)しておられた覚えがあります。

戦時中、学徒動員された兵隊達も、活字が読めないことをもっとも苦痛に思ったと聞きます(人によるとは思いますが…)。内地から送られてきた薬の「効用書」を、兵隊達が奪い合って読んだいう話がありますが、活字への飢えが痛いほど伝わってくるエピソードではありませんか。

私のような活字中毒者にとっては、ある意味、どんなエピソードよりも戦地生活の辛さをリアルに伝える話である気がします(大げさですかね?)。幼い頃、乗せられた車の中で読むものが何もなく、ポテトチップスの袋の裏側を何度も何度も熟読していた私にとっては、身につまされる話なのです。

覚醒剤や麻薬犯罪で何度も検挙される人達をニュースで見るたび、バカだなぁと思うんですが、覚醒剤を活字に置き換えると、なんとなく分かるような気がしてしまったり。いやいや、薬物犯罪を擁護するわけではありませんよ。本当に活字が合法でよかったと思います(笑)。

それで思い出しましたが、書物が非合法化されている近未来を描いた有名な作品があります。レイ・ブラッドベリの「華氏四五一度」です。華氏451度は紙の発火点。主人公はあらゆる書物を焼却する焚書官なのです。書物の所有者は極刑に処せられるのですが、私など一発で極刑でしょうね。