勉強は終わり良ければすべて良し

毎日新聞に仲畑流万能川柳というコーナーがあります。朝からクスッと笑わされたり、色々考えさせられたりすることが多く、なかなか面白い欄です。自分で川柳を作ろうとまでは思いませんが…。

2008.06.13(金)の万能川柳欄に、こんな川柳が掲載されていました。

学校は終わり良ければすべて良し (今治 土岐優理也)

おそらく「人は最終的に出た学校で判断されるものさ(途中の学校は関係ねぇよ)」という皮肉だと解釈すればよいのでしょうが、ちょっと面白い問題提起であるように思います。

最終学歴で判断されるということは、逆に言えば、途中の学歴はどうでもよいということにもなるわけです。もちろん、こうした考えは常々批判的に語られるところですし、私も全面的に賛成しているわけではありません。

しかし、塾を運営している立場からすると、やはり最終的に立派になってほしい、もっと率直に言えば最後の最後でしっかりとした花を咲かせ実を付けて欲しい、と思うわけです。途中の花よりも最後の実とでも言いますか。

「小学生の頃の成績はずば抜けていたのに徐々に先細りになっていった」「有名進学校に進んだものの大学受験では全く結果を残せなかった」

非常に切ない話です。むしろ「最初から勉強なんて全然できなかったよ」という方が救いがあるかもしれない。

そういう意味で、目先の成績よりも、しっかりとした学力・底力を重視すべきだというのが、宮田塾のポリシーです。もちろん、その両者を獲得できるに越したことはありませんし、実際、両立するような指導を心がけています。(そして多くの生徒はその両方を獲得していると思います。) が、どちらかを選べと言われれば、断然後者の方が大事でしょう。
(受験生はまた別論ですよ。念のため。)

そんなわけで、冒頭の川柳、ある意味宮田塾の基本姿勢に共通するところがあります。ちょっとマネして(すみません)宮田塾バージョンにしてみると、こんな感じでしょうか。

勉強は終わり良ければすべて良し

お粗末でした。