「制服」という思想

私の学生時代を振り返ってみますと、制服を着ていたのは、幼稚園・中学生の時代だけです。小学校は制服がありませんでしたし、高校は日本一自由な校風とされる高校でしたので、制服などあろうはずもありません(学生運動が華やかだった頃に生徒会が団交で制服廃止を勝ち取った名残らしい)。

幼稚園は、幼児が初めて家族以外と社会生活を送る場です。そうした場での制服の存在は、「社会生活に規範あり」ということを教える意義があるのでしょう。そもそも、幼稚園で制服なしとなると、なんとなく締まりがない感じがします。一応、こんな私にも、可愛らしいベレー帽を被って幼稚園に登園していた時代があったんですね(笑)。

小学校に上がると、私服だったんですが、服装に何の興味もない私は(男子小学生なんてそんなものだ)、母親の用意してくれる衣服を、何の疑問も持たずに着て登校していました。

中学校には制服の定めがありまして、とても楽だった覚えがあります。「制服=上からの強制・権力主義」という発想も分からないではないんですが、何も考えなくて良いという面ではとても楽ちん。衣服に関してぐうたらな私にとって、制服は非常に便利なシステムなのでした。

で、高校です。我が母校は先程申し上げましたとおり、制服の定めがありません。中学校が結構あれこれとうるさい所であった分、確かに解放感はあるんですが、毎日着ていく服を考えないとならないのはとても面倒。結局、おしゃれにうるさい一部生徒を除いては、ジーンズにTシャツというのが事実上の「男子制服」となります(女子はもう少し気を使っていたような気はしますが)。

私の場合自営業ですから、その頃の習いが今に至るまで続いておりまして、毎日同じような服を着ています。もちろん、不潔なのは嫌ですし、他人にも不快感を与えますから、ちゃんと毎日着替えはします。ただ、毎日あれこれとコーディネイトを楽しむなんていうのは、私の能力を超えているんですよね……(笑)。

そんなわけで、気に入った服があると一気に数着購入します。「このTシャツ着やすくていいな。10着同じの買っておこう。」ちょうど「備品」の感覚です。副代表曰く、「同じ衣服を何着も買うのは馬鹿」とのことで、いつも嘲笑されているんですが、そんなの関係ネェ!(古い)。一度、ユニクロの店員さんに「業者の方ですか?」と聞かれたことがあるんですが、服飾関係の業者さんだったら、もっとおしゃれですから!

塾では、こういうこともあります。

生徒「先生っていつも同じ服着てない?」

私「うん!同じ服を何着も持ってるねん。例えばこのシャツだと、同じのが10枚ぐらいあるよ。毎日着替えているけど、なかなか気づいてもらえないねん。」

生徒「……。」

何か理解しがたいヤツだというような顔をされます(苦笑)。


こういう考え方は、あまり理解されないようなんですが、とある有名人が私とほとんど同じ考え方をしていて笑ってしまったことがあります。

その人はスティーブ・ジョブズ。なんでも山本耀司のタートルネックをいたく気に入り、100着ほどを一気に購入したとか。また、アップル社に制服制度を導入しようとして、社員からの反発を受けたこともあったそうで(確かにリベラルな社風には合いにくい思想だ)。

生前のジョブズは、公式の場に出る際も含め、いつも黒のタートルネック、ジーンズ、ニューバランスのスニーカーでした。決して彼の「制服」を真似ているわけではありませんが、私も普段の格好はそんな感じ。私には、ジョブズの気持ちが良く分かります。