小説であれ、映画であれ、親子の関係を題材にした作品はたくさんあります。そうした親子の物語を分類すると、原則として次の4類型に分類できます。
1.父親と息子の物語
2.父親と娘の物語
3.母親と息子の物語
4.母親と娘の物語
詳しくデータを取ってみたわけではありませんが、この中で最もよく見かけるのは、「1.父親と息子の物語」であるように思います。
2~4も、もちろん立派な物語になり得ます。子を思わぬ親などいませんし、その思いは無償の愛情ですから、どう料理しても形になります。
しかし、客観的に考えたとき、「父親と息子の物語」ほど、物語性を豊かにはらんでいるジャンルはないのではないか。実際、ハリウッド映画を見ていても、「父親と息子の物語」は嫌と言うほど題材にされています。ほとんど無関係なのではないかと思われる映画にすら、父と息子のエピソードが挿入されていたりする。小説の場合、そこまで極端ではないかもしれませんが、やはりそういう傾向があります。
その理由は何なのか。あくまで私見だとお断りした上で、私の考えているところを説明してみます。
思うに、「父親と娘の物語」「母親と息子の物語」の場合、親から見ても子から見ても相手は異性ですから、あまり相手との競争関係を考えなくて済みます。つまり、純粋な愛情だけの話になりやすい。それが悪いわけではありませんし、とても尊い愛情なんですが、物語としてはやや平板になりがちなのでないか。また、父親は娘を、母親は息子を、ややもすれば「溺愛」しがちなものですが、そうした関係に陥れば、物語性は大きく損なわれます。
次に、「母親と娘の物語」の場合。同性ですから、(心理学的に)一種の競合関係にあるような気もしますが、女性の場合は良くも悪くも現実的。そのため、実際は競合関係に陥ることなく、仲のいい友人類似の関係になることが多いのではないか(親子で競合関係に立っても益が少ない)。少なくとも、父親と息子のような暑苦しい関係になることは稀で、ややドライな関係になりやすいように思います。ドライな関係は物語性に乏しいわけで、これまた作品としては平板になりがち。
問題は、「父親と息子の物語」です。理想的なのは、父が息子を愛し、息子が父を敬うという関係でしょうが、こうした関係になることが少し難しい。またなったとしても、子は父を乗り越えようとする本能が付与されているため(少なくとも私はそう思う)、深層心理的に、または実際に、敵対関係・競合関係にならざるをえない。
加えて、息子が父親を乗り越えれば乗り越えたで、息子にも父にも「喜び」「寂寥感」という相反する感情が訪れる関係です。
「俺は父を追い抜いた!しかし、父も年老いた……。」
「息子が立派に成長した!しかし、俺も年老いた……。」
この感情は、愛する人・尊敬する人との別れの序章でもあります。
ちょっとロマンティックすぎますかね?私が思うに、男って、ある意味「バカ」なんです。どうでもよいことにこだわったり、張り合ったりするのは、絶対に男性なんですよね。「バカ」という言葉が悪ければ、現実から遊離しがちである、と表現しても構いません。
この複雑な関係。この関係こそが、「父と息子」の物語性を深からしめるのではないか。それが私の考えです。
私は30歳の時、父親を失いました。肺ガンが発見された頃には、末期で手の施しようがありませんでした。医師からは1年4ヶ月の余命を告げられましたが、その宣告から9ヶ月で父は世を去りました。私にとっての「父と息子の物語」は、唐突に終わりを告げたかのように思えました。
しかしその数年後、男の子を授かり、図らずも「父と息子の物語」が再び始まりました。今もう一度、父親と息子の物語を生きる。立場を子から父へと変えて、この物語を生きる。息子が生まれたとき、そんな風に思ったことを覚えています。
この「物語」はすでに6年の歳月を閲していますが、これからもますます面白くなりそうで飽きることがありません。