見るべきほどのことは未だ見たらず

先日は読書の話を書きましたが、私にとって読書と並ぶ栄養は音楽。音楽とか読書って、趣味というより「生活」だと思っています。毎日服を着て食事をしてお風呂に入っても、衣服や食事や入浴が趣味だと言いにくいのと同じです。

某レコード店のキャッチフレーズに “No Music, No Life” というのがありますが、私も同感。「趣味」は無くても生きていけますが、空気や水がないと生きていけないように、書籍や音楽がないと生きてゆけない。

今はリスナーにとって本当に良い時代で、サブスクリプションサービスやYouTubeで超マニアックなものも含め、安くでいくらでも音楽を聴けるようになりました。ただ、ミュージシャンの立場からすると、本当に厳しい時代になっている模様。

私のような「聴き専」からすると天国のような時代であっても、その裏側で音楽を生業とする人々の経済的利益が異常なほど薄くなっているとあれば、良い気分はしません。適切な利益を得て、それを元にまた優れた録音や演奏を残して欲しいと思うんですよね。

そんな訳で、時間が許せばできるだけライブに足を運びたいと思っているんですが(CD等の音盤はもう置く場所がないのです)、ここ数年は新型コロナやら息子の受験やらで、それもなかなか難しい時期でした。今年からはできる限り見たいものを見ようと思っています。

浄瑠璃『義経千本桜』(平家物語がベースになっている作品)で、平知盛が「見るべきほどのことは見つ」と碇もろとも入水するという有名なシーンがありますが(いわゆる「碇知盛」)、幾つになってもあの心境には絶対になれないなと思います。自分が何らかの病を得て、死をある程度許容する段階に至ったとしても、「あれも見たいな、これも聴きたいな」と死ぬまで思ってそう。未練がましい人間ですね。

それにしても、先代吉田玉男師の「碇知盛」は素晴らしかった。私のような未練な人間ではなく、恬淡とした玉男師であるからこそ、あの迫力ある至芸があったのかもしれません。

いずれにせよ、音楽も芸もライブは一期一会。生きているうちにしっかり楽しんでおきたいと思います。


探してみるとYouTubeにありました、『義経千本桜』「渡海屋・大物浦の段」。人形(知盛)は先代の吉田玉男師、太夫は竹本住太夫師。お二方とももう鬼籍に入られまして、今やその至芸に触るること能わず。寂しい限りにございます。「碇知盛」のシーンだけを見られるようにリンクを貼っておきます(約4分間)。

文楽「義経千本桜」より「渡海屋・大物浦の段」(3/4) 本編(切)