『平家物語』あれこれ – アニメ化の話など

昨日ニュースを読んでいて、『平家物語』がアニメ化され放映されていることを知りました。

早速PVを見ましたが、これはいいですね!平家物語の真髄を捉えた上で増幅してくれているように思います。副代表とも、時間が出来たら是非見ようという話になりました。

TVアニメ「平家物語」第二弾PV

私は『平家物語』が好きで原文でも読んでおりますが、テーマといい、展開といい、文体といい、キャラクターの立ち方といい、エモーションといい、全てにおいて最高級の物語だと思っています。「何か古典作品を読んでみたいんだけど何がいい?」と聞かれたなら、いの一番に挙げたい作品、それが『平家物語』です。

確かドナルド・キーン先生が書いていらっしゃったかと思うんですが、「滅び」に「美」を感ずる民族・文化は多い、つまり「滅び」は普遍的な美だと言えるらしい。しかし、「滅び」が「美」に不可欠な要素だとまで捉えているのは日本文化だけであるとの由。日本文化は最も極端な形で「滅び」と「美」を結びつけていると言っていいのかもしれません。

儚く散る桜に毎年毎年全国民がうっとりし、(無慈悲な戦闘行為であるにもかかわらず)若い命を散らすカミカゼ攻撃にどこか美学を感じてしまう、そんな文化は良くも悪くも私たちの文化だけなのかもしれません。

そしてそんな文化的傾向にこの上もなくマッチする作品、それは「滅びゆくものへの哀惜」を低く高く歌い続ける『平家物語』です。私が何より感動するのは、この物語が琵琶法師達によって芸能として音楽として歌われ語られ、人々の心の奥深くを揺り動かし続けてきたことです。

個人的には、音楽と文学は相即不離だと思っているので、このブログでも音楽の話をちょこちょこ書いているんですが(ちょっと言い訳)、「平曲」は後の時代の「謡曲」(能の音楽だと思って下さい)や「浄瑠璃」(文楽や歌舞伎の音楽だと思って下さい)の源流。そして今もこうして、アニメという形をとって人々の心を震わせ続ける。

「滅びゆくものへの哀惜」という長編の詩(と言っても過言ではないと思う)が何百年も生き続ける。本当に美しいことだと思います。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語冒頭部のフレーズを聞いたことがない大人なんて一人もいないと思うんですよね。誰もが「ああ、それって平家物語だったよね」と言う。緊密かつリズミカルな文体で無常観・「滅びゆくものへの哀惜」を朗々と歌うこのフレーズ。いきなり斬り込んでくる感覚が大好きです。


ブログに書こうと思いつつ、放ったらかしになっている平家物語関係の話があります。

・静御前の生誕地に行ってきた話
・幼くして入水し亡くなった安徳天皇のお墓に行ってきた話
・平維盛がやって来た – 「寿司屋」を「弥助」と呼ぶ理由

さぁ〜て、来週のブログはこの三本でお送りしま〜す!ンガッググ。って、古すぎて分かってもらえないですかね(サザエさん……)。また時間が出来れば書きます。

そうそう、山口県の壇ノ浦パーキングエリアの話もあるんだった。中国自動車道を利用して九州に向かわれる方は、是非このパーキングエリアからの眺めを楽しんでいただきたいと思います。私はここを通りかかるたび、必ず海峡を眺めつつ平家滅亡のシーンを心に描いています。おっと、調べてみると昨年リニューアルオープンしているじゃないですか!また行ってみよ。

壇之浦PA、展望デッキやガラス張りフードテラスも!関門海峡を臨むロケーション活かしリニューアル – 時遊zine

ああそう言えば、人間椅子『芳一受難』の話も書きたいのでした。何か無限に湧いてきますね、『平家物語』関連の話。

話は逸れましたが、アニメ版『平家物語』が海外でも愛されることを願っています。