サマセット・モーム『九月姫とウグイス』

すっかり夏になりましたね。塾の方も既に夏の繁忙期に突入いたしております。世の中には先般の大雨で被害に遭われた方も多く、胸が痛みますが、私達は私達の持ち場で頑張っていこうと思います。

さて、最近読んで面白かった本の話。

当塾で採用している低学年用国語のテキストに『九月姫とウグイス』という作品が掲載されています。サマセット・モーム作、光吉夏弥訳の文章で、大人が読んでも何か心魅かれるところがあるんですよね。テキストには一部分が取り上げられているだけなので、全文を読みたいと思っていたんですが、なかなか機会がありませんでした。先日Amazonで購入してようやく読了。

サマセット・モーム
『九月姫とウグイス』

九月姫とウグイス (岩波の子どもの本)

これ、体裁こそ童話ですが、実のところは大人のための寓話ですね。こんなお話です。

シャム国の王様には多くのお姫さまがいらっしゃったんですが、その九女が九月姫。お姉さま方(もちろん一月姫~八月姫と名付けられています)はちょっと性格がひねくれているんですが、この九月姫は性格の穏やかなお嬢さん。

ある日、一羽の小鳥が九月姫の部屋の中に飛び込んできます。

小鳥は、美しい声で、さえずりはじめました。ご殿のおにわの池や、しずかな水にうつるじぶんのすがたにみとれているヤナギの木や、その枝のあいだをいったりきたりしている、金魚のことをうたいました。

この歌があんまりきれいなのでお姫さまも侍女達も驚きます。こんなにきれいな歌は聴いたことがありません。九月姫は大得意になります。自由な鳥の美しい歌声。なんて素晴らしい。

ただ、お姉さま方はやっかみ半分、「小鳥はもうきっと帰ってこないはず、万一帰ってきたら籠に閉じこめてしまうべきだ」と言います。確かにそう言われてみると不安になります。九月姫は戻ってきたウグイスを豪奢な金の籠に閉じこめてしまいます。

「おきてください!おきてください!かごの戸をあけて、だしてください。つゆがまだそこにあるうちに、ひとまわりとんできたいのです」

「そこにいるほうが、ずっといいのよ」と九月姫はいいました。「そんなきれいな金のかごのなかにいるんですもの。それは国じゅうで、一ばんじょうずなしょくにんがつくったものなのよ。 (中略) ごはんは、侍女たちが、三ど三ど、もってくるわよ。朝から晩まで、なんの苦労もなしに、すきなだけ、うたってればいいのよ。 (中略) かごにいれたのは、おまえが大すきだからじゃないの。おまえのためになることは、わたしのほうが、よくわかっているのよ。それより、ちょっと、うたってちょうだい。そしたら、くろざとうをひとかけ、あげるわ」

けれども、ウグイスは、かごのすみで、じっと、あおぞらをみあげたきり、ひとこともうたいません。一日じゅううたいませんでした。

代わりに九月姫は籠を提げて、ヤナギの木の生えている池や青々とした田んぼへと、ウグイスを連れてゆきます。

「大すきなおまえを、なんとかして、しあわせにしてあげたいの」

「でも、ちがうんです」と、ウグイスはいいました。「田んぼも、いけも、ヤナギの木も、かごのなかからみたのでは、まるっきり、ちがってみえるんです」

次の朝、九月姫は籠の底で目を閉じて死んだようになっているウグイスを発見します。

九月姫は、かごの戸をあけて、ウグイスをとりだしました。とたんにほっとして、なみだがわいてきました。ウグイスの小さいしんぞうは、まだ、うっていました。「おきてよ、おきてよ、小鳥さん!」九月姫は、わっと、なきだしました。なみだが、ぽたぽた、おちました。そのなみだで、ウグイスは、目をひらきました。もう、とりかごは、まわりにはありませんでした。

「じゆうでなければ、わたしは、うたえないのです。うたえなければ、死んでしまいます」と、ウグイスはいいました。

九月姫は、また、なきだして、「じゃ、じゆうにおなりなさい」と、いいました。「おまえをかごのなかにいれたのは、おまえがすきで、わたしひとりのものにしておきたかったからなのよ。でも、それじゃ、死んでしまうなんて、おもいもかけなかったわ。さあ、いくといいわ。いけのまわりのヤナギの木のあいだや、あおあおとした、田んぼのうえへ、とんでいくといいわ。わたしは、おまえがすきだからこそ、じぶんのいいようにさせてあげるのよ」

ウグイスはちょっと身震いをしてこう言います。

「わたしも、お姫さまが大すきですから、また、まいります。」と、ウグイスはいいました。「そして、わたしのしっている、一ばんいい歌をうたってあげます。わたしはとおくへいっても、かならず、かえってきます、お姫さまのことは、けっしてわすれません」

青空へとまっすぐ飛び立つウグイス。

お姫さまは、わっと、なきだしました。じぶんのしあわせよりも、じぶんのすきなひとのしあわせを、だいいちにかんがえるのは、とても、むずかしいことだからです。

お姉さま方は、九月姫を馬鹿にします。ウグイスが帰ってくるはずがないじゃない。あんたホントに馬鹿ね。しかし、ウグイスは何度も何度も戻ってきて、大好きなお姫様のために、一番美しい歌を歌い続けました。その後、お姫様は美しい女性に成長し、カンボジアの王様のもとに嫁ぎました。めでたしめでたし。

あ、ちなみにお姉さま方はみんな不細工になって、不幸せになりました。ちょっとひどい結末ですね(笑)。


皆さんは、どう思われますでしょうか?

この話、やっぱり男女関係についての教訓になっていると思うんですよね。または親子関係についての教訓。

パートナーの身を考えて危険のない状態にしてあげる、子供の将来を案じて安全に保護してあげる。それ自体は悪い事ではないでしょう。しかしその底に、パートナーや子を、自己の従属物とする考えや独占欲の対象とする気持ちが潜んでいることがある。

その時、パートナーや子は自由の翼を奪われる。徐々に自分という存在を失い、自分の人生を生き得なくさせられてしまう。それは人間としての「死」でしょう。

確かに、誰かを愛すれば愛するほど、その人の安全を願う気持ちや、失敗を避けて欲しい気持ちは強くなるでしょう。でも、それを押し付けるべきではありません。危険を冒すことのない人生、失敗することのない人生。私からすると、そんなのは人生の名に値しません。自由や自律を奪われた人生は、人生であって人生でない。

この『九月姫とウグイス』、もちろん子供にも楽しめる作品ですが(『岩波の子どもの本』として出版されているぐらいです)、本当に楽しめるのは大人になってからじゃないでしょうか。心から愛する人が出来たら、その人を信頼しなくてはいけないんだよ、そしてその人の自由を束縛してはならないんだよ。それこそが本当の愛情なんだよ。

含蓄のある話ですね。


それにしても、このウグイス君。何だか話が合いそうです。

「田んぼも、いけも、ヤナギの木も、くるまやでんしゃの中からみたのでは、まるっきり、ちがってみえるよ。バイクに乗ってみないとだめなんだよね。じゆうでなければ、わたしも、死んでしまうよ」

「わかります。わかります。どこかきれいな、みずうみにでも、いっしょに行きませんか」

「いいね!防風バイザーのうしろにでものってみるかい?」

「いいですね!ホケキョ!」

想像が広がりまくりんぐでございます(笑)。