ここ数日、ノーベル物理学賞・化学賞関係の話題で盛り上がっていますね。受賞の対象となった研究自体はよく分かりませんが、学者としてのエピソード・受賞に至る経緯などには、興味深いものがあります。
私、物理に疎い文系の学生でしたが、益川先生については、ずいぶん前から「ノーベル賞確実」と聞き及んでおりました。私のような人間にまでその噂が聞こえるぐらいですから、よっぽどの業績を挙げられたことは想像に難くありません。
天才的な学者が、その才を惜しみなく研究に注ぎ込み、世界から高く評価される。本当に素晴らしいことだと思います。
さて、ノーベル賞についての思い出話。
私の母校には、スウェーデン王立アカデミー会員となり、日本初のノーベル賞の選考委員を務める教授がおられました。ここではあえて名前を伏せて「Y先生」としておきます。
この先生、かなりの有名人でして、マスコミへの露出も非常に多かったように思います。京大の授業は原則として一コマ90分なんですが、あまりに忙しいため、30分遅刻されて30分早く授業を終わられる、なんていうのもザラでした。つまり、30分しか授業時間がない。その上、休講もしばしば。まぁY先生だから仕方がないなぁ、というのが学生・先生方の反応だったように思います。
政治学の方面では多大な業績を残されている上に、ノーベル賞の選考にまで関わっていらっしゃる。学者としてもうこれ以上ないというような立場であったと思うんですが、好事魔多し。セクハラ問題が降って湧いたように起こり、あっという間に大学を追われたY先生は、学者生命を完全に絶たれたのでした。この件、社会的に大きな問題になったので、お覚えの方もいらっしゃるかもしれません。
その後、程なくしてY先生の訃報を耳にしましたが、外国で客死されたとの由で、何ともやりきれない気持ちになったことを覚えています。今、Y先生の書かれたノーベル賞に関する書籍を Amazon で検索してみると、こちらも絶版。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。ノーベル賞の話題を聞くたびに、私はこのY先生のことを思い出すのです。