以下の記事を読んで、さもありなんと思いました。
大学の大規模公開オンラインコース(MOOC)を受けているのは、実は「裕福な人」だった!? « WIRED.jp
最近、有名大学の講義をオンライン(インターネット)で受けられるような環境が整いつつありますが、その講義を誰が受講しているのかという話です。
『Nature』の紙面に掲載された、世界中の200の地域におけるMOOCのアクティヴユーザーに対して行われた調査を基にした報告によると、こうしたコースを利用しているのは、ある階層の人々、すなわちすでに十分な教育を受けた人々で、特に男性のようだ。彼らは、キャリアアップのための追加的な教育を求めている。
(中略)
データ全体として、たったひとつのことを述べているようだ。エマニュエルはこうまとめている。「MOOCは『裕福ではない人々』を教育するのではなく、『裕福な人々』の優位を強化しているようにみえる。MOOCが本当にその誓いを果たせるようになるには、まずこのテクノロジーへのよりよいアクセスと、よりよい基礎教育が、全世界で必要である」。
(上記 WIRED.jp 記事より引用)
有名大学の充実した講義に、無料(またはそれに近い対価)でアクセスできるのは素晴らしい事ですよね。今まで高等教育にアクセスできなかった人が、オンライン講義を通じて知力を高め、個人としての社会的地位を高める。社会的な不平等を解消する一手段となるだけではなく、社会が有能な人材を取りこぼさないですむという利点もあります。
そういった辺りがベースになる発想だろうと思うんですが(大学の宣伝もあるか)、理念としては素晴らしい。理念としては……。
しかし、記事によると、実際にそうした環境を貪欲に利用するのは、向上心の高い人間だけ。大規模公開オンラインコース利用者の8割が既に大学の学位を有しているそうです。社会的に恵まれた人がさらに恵まれようとMOOCを利用するという皮肉。
記事は、「よりよいアクセス」と「よりよい基礎教育」の必要性を訴えていますが、どうなんでしょうね。先進国に限って見れば、アクセス自体はもう十分に保証されている状況だと言えるでしょうし、基礎教育も不備とは言えないでしょう。
結局、問題は、本人の向上心・やる気に帰着するのではないかと思います。どんなによい環境を用意しても、向上心のない人には「猫に小判」ということなんでしょう。
もちろん、発展途上国においては、「よりよいアクセス」と「よりよい基礎教育」の必要性が今なお高いことは認めます。でも、そうした環境が整えられた後は、結局、先進国と同様の状況になりそうな気がします。
世の中の不平等を解決しようとすることが、格差をさらに増大させかねないという皮肉。このMOCCに関する話の場合、悪意ある関係者は皆無に等しいと思うんですよね。それがなお、この世の救いの無さを物語っています。マックス・ヴェーバーが生きていれば、好んで論じそうな議論ではないでしょうか。