幼児の国語トレーニング – 話をたどる力

ある著名な教育者がどこかに書いていました。親が早期教育に熱心すぎると、逆に子供が伸びなくなってしまう。

これは、勉強を教える立場にある人の一般的な見解と言ってもいいのではないかと思います。少なくとも私達はそう思っています。あまりに早くから「教育しすぎてしまう」ことの弊害は無視できません。

なぜ伸びなくなってしまうかの理由は色々と考えられますが、最大の理由はやはり、子供を受動的にしすぎてしまうことでしょう。「教えられた通りにする」ということはもちろん大切なことなんです。ただ、その反面として「教えられない限り何もできない」という事態に陥りかねない。というか、かなりの確率でそういう事態に陥る。

平たく言えば、「目先の単純な問題を解く力」と引き換えに、「自分で切り開いていく力」をスポイルしてしまうわけです。これは是非避けたいところ。

といって、子供に全く何もさせず野生のまま放置するというわけにもゆきません。子供であっても、人間である以上「社会的存在」ですから、社会の中で生きてゆく年齢相当の術を身につけねばなりません。

要はバランスということになりますが、バランスの具体的な取り方は永遠の課題だろうと思います。時代特性・民族性・文化その他諸々の外部的な状況だけでなく、個々人の能力差・個性というものも考慮に入れないとならないからです。


ただ、国語力・読解力の観点(もう少し幅を広げるなら言語操作能力の観点)からすると、これだけは言えるのではないかと思うことがあります。

それは子供の「地道に話をたどる力」を育てることの重要性です。

文章であれ会話であれ、その内容把握は構造上「シーケンシャル・アクセス方式」、つまりデータの把握はデータの内容を「順次たどる」方式で行うしかありません。

言い換えれば、人の話を真剣に・全体的に理解しようとする時、話の一本の道筋を順番にたどっていくしかないということです。比喩的に言えば、カセットテープに録音された話を最初から順に聞くようなイメージ、一本の細い糸をずっと手繰ってゆくようなイメージですね。

ササッと文章の大事な場所だけにアクセスできればいいんですが、それは原理的に不可能です。一本道を最初から最後までたどり切る=文章を全部読むことをしない限り、そもそもどこが大事か判明しないからです。

ただ、文章や会話を地道にたどっていくのは、幼い子供にとってかなり骨の折れる作業です。大人でもなかなか出来ない人がいっぱいいるぐらいなので……。

幼い子供に国語力・読解力の基礎を身につけさせる、もう少し幅を広げて言語能力発展の基礎を身につけさせるというなら、この「地道に話をたどる力」を身につけさせてやるのが最もよいだろうと私は思います(具体的な方策まで書く時間はありませんけれど)。


ただ、「地道に話をたどる力」とは逆の指導をしてしまっている大人が多いのではないかということだけは指摘しておきたいと思います。

「シーケンシャル・アクセス方式」と対になる概念は「ランダム・アクセス方式」と呼ばれるデータ取り扱い方式なんですが、大辞林によるとこう定義されています。

コンピューターの記憶装置へのデータの入出力を、アドレスの順序に従わず無作為に行う方式。時間が節約される。

ポイントは「順序に従わず無作為に行う」というところです。

イメージとしては曲の頭出しができるCDを考えていただければよろしいかと。CDの5曲目を聴いている途中で8曲目の頭に飛び、また再生の途中で3曲めに移る、というような感じです。

私達の経験上、この「ランダム・アクセス方式」で文章や国語の問題に取り組もうとする幼い子供は、かなり多いように思います。

「せんせい、いちもんめがわかりません」(教材を開いてすぐさま言う)

「〇〇さん、まず文章は全部読んだかな?」

「……」(首を横に振る)

「まず文章を最初から最後まで読もうね。ゆっくりでいいよ、すぐ解こうと思わずに読み通してみてくれるかな?」

「は〜い!」

幼い子どもたちは素直なので、「なぜそんな辛気臭いことをせねばならないのか」と反論されることはないんですが、といって、全員が指示通り文章を最初から最後まで読み通してくれるわけでもありません。返事とは裏腹に、読み通さない(読み通せない)子は結構いるわけです。

手を変え品を変え、そこを何とか頑張れるようになってもらうのが当塾の仕事なんですが、正直に申し上げると、なかなか時間のかかる作業になります。

逆に「根気よく文章をたどる力」を身につけてきた子供は、解答まで時間が掛かっても、文章内容を十分に把握しているため、正答率が高い傾向があるのは言うまでもないでしょう。

大辞林の言うように、「シーケンシャル・アクセス方式」と異なり、「ランダム・アクセス方式」だと「時間が節約される」のは確かなんですが、読解が不正確では何の意味もありません。

いわゆる難関中学の入試問題を見ていると、出題される先生方は、受験生に「根気よく文章をたどる力」を求めていることがよく分かります。模試のように「ランダム・アクセス方式」で時間を節約して要領よく処理できる問題はそうそうありません。

幼い時に「ランダム・アクセス方式」で解けてしまう問題を大量にやらせることは、子供に誤ったメッセージを伝えてしまう。当塾ではそうした考えから、低学年の場合はある程度長い目で見た指導をさせてもらっています。言うは易し、行うは難しですが……。

まとめ。

国語力・読解力を身につけさせたいなら、幼い頃は、問題や解答時間にこだわらず、「地道に文章をたどる力」「根気よく人の話を聞く力」の方を重視すべし。