そろそろ春到来ですね。少し開花の早い桜がちらほらと目に付くようになってきました。
さて、私たちにとって、国語力養成・読解力養成は日々取り組んでいる仕事ですから、まがりなりにではありますが、一定の考えを持つに至っております(もちろんそうした考えは仕事にフィードバックされる)。
その内、言語化できる考えは、ある程度このブログの記事にしておりますが、なかなか記事作成が追いつきません。記事にできている量は、体感で10%〜15%ぐらいでしょうか。まあ、全部ブログ記事にする必要もないんですけどね。
加えて、すべての考え・認知を言語化できるわけではありません。人に教えることって、どうしても言葉にはし尽せない部分があると思うんですよね。そして、それが取るに足りない些細な事かというとそうでもない。むしろ非常に重要な事柄だったりするわけです。
「拈華微笑」(ねんげみしょう)という言葉があります。私はこの言葉が大好きなんですが、ちょっと授業風に説明してみましょう。
「拈(ネン)」は訓読みすると「ひねる・つまむ」。つまり、「拈華(ネンゲ)」は、花をひねる・つまむこと。
昔々、お釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん・古代インドのマガダ国にあった山)でお弟子さんに説法をしました。その際に、お釈迦様は一言も発することなく、捧げ物の花をひねります。お弟子さん達は意図が分からずポカン。でも弟子の一人、摩訶迦葉(まかかしょう)だけは、にっこりお釈迦様に微笑みを返します。お釈迦様は、それを見て「仏法のすべてを摩訶迦葉に授けた」と語りました。
とまあ、そんなお話なんですが、とくに禅宗で「以心伝心による伝法」の重要性を説明するために使われたエピソードらしいんですね。個人的には、「すべてが言葉で表現できたり伝えられたりするわけではない」、もう少し拡大解釈が許されるとして、「世界の現象すべてをロジカルに把握しようとするとこぼれ落ちるものがある」という風に解釈しています。
今後、人工知能が隆盛を極めることは、もう既定の事実だと思います。そしてそうであるならば、それを使いこなすが必須であるとも私は思います。実際、教える仕事そのものにはほとんど使えないものの、自分の勉強には死ぬほど使っています(ここ2ヶ月ほど微分積分学の証明を聞きまくっていました)。
人工知能と人間が「言語」(数理的言語も含む)を介してコミュニケートする以上、人間側の「言語化能力」が高ければ高いほど、人工知能は強力なツールになります。生徒さん達を教えていて、そうした現代的意味からも「言語能力」を高めてもらいたいと考えているのは事実です(このあたりはまた記事にする予定)。
ただ、その一方で、人工知能では絶対に届きえない「拈華微笑」的な部分も大切にしたいなと思ってもいるんですよね。ちょっとレベルは違いますが、「この塾に来たら何となく勉強がしやすいな」とか、「なんか自分にもやれそうな気がしてきたわ」みたいな。
教える内容は勉強すればいいだけですが、上記のような「言語化できない部分」は、私どもが勉強してどうこうなるものではありません。大げさに言えば、私どもがもうちょっと上等な人間になるしかないのかなと思います。あんまり自信がありませんが(笑)、これからも努力して参ります。


