勉強とは「ことば」を学ぶこと
勉強とは「ことば」を学ぶこと。「ことば」を学ぶことで、学力を上げるだけではなく、人生を切り開く力も身に付けてもらいたい。「ことばの力」を着実に身に付けて、より良き人生を歩んでもらいたい。
これは私たちが2002年に当塾を開いて以来、常に胸に抱き続けてきた想いです。
「ことば」は勉学・学問の根幹
「ことばの力」とはどのような力なのか。ひとまずは、「読解力・論理的思考力・表現力」といった学力に置き換えることも可能でしょう。また、入学試験を控えている方々であれば、「試験で高得点を取る力」という理解になるかもしれません。
もちろん、それらも極めて重要な力であり、当塾としてもその向上に大いに意を注いでいるところではあります。しかし、「ことばの力」はそこに止まるものではないでしょう。
国語が「ことば」に関する教科であることは言うまでもありませんが、他の教科も「ことば」で記述・説明されるのであり、その理解や表現には「ことば」が関係します。より精確には、「ことばの力」がすべての勉強の基礎となり、その鍵を握っている。
例えば、「算数を学ぶこと」は「算数独自の『ことば』を学ぶこと」と言い換えられます。「諸外国語を学ぶこと」であれば、「母語の『ことばの力』をベースに他国の『ことば』を学ぶこと」と言ってよいでしょう。
さらに視野を広げれば、人文科学・社会科学のみならず、自然科学も含め、科学であって「ことば」を媒体としない学問分野は存在しません。「ことば」は勉学・学問の根幹をなすと当塾が考える所以です。
「ことば」は社会を生きる術
また、社会に生きるひとりの人間として「ことば」を眺めたとき、これほど重要なものも稀なのではないでしょうか。
もちろん「ことば」以外の手段(非言語的手段)による意思伝達も無視はできないでしょう。しかし、法律・契約といった社会的規範の多くは「ことば」で示され、仕事の指示・仕事の成果の伝達もまた「ことば」無しに行えるものではありません。
そして、他者との関係を築くうえでも、「ことば」は大きな力を発揮するでしょう。「ことば」は時に人を傷つけもしますが、同時に愛を育てるものでもあります。家庭内での温かい交流、友人同士の思いやり、そして恋人同士の愛の語らい。
人がこの世を去っても、その人の「ことば」は残ります。いや、「ことばだけ」が残るという方が正確でしょうか。それは時に公的な歴史として。時に美しい詩作として。時に私的な胸の内の記録として。
当塾の想い − Schola Verbi (スコラ・ウェルビー)
ここに私たちは、当塾を「Schola Verbi (スコラ・ウェルビー)」と規定致します。
“Schola” は古典ラテン語で「学校・講義」を、 “Verbum” は同じく古典ラテン語で「ことば・発言」を意味します。「Schola Verbi (スコラ・ウェルビー)」は直訳すれば、「ことばの学校」「ことばの講義」ということになります。
当塾を表す何かよい日本語は無いものかと常々思い続けて参りましたが、日本語で「ことばの学校」「ことばの塾」「ことばの教習所」などと表現すると、何か幼い子供たちだけを対象とした初歩的塾のようにも聞こえ、かといって「受験国語塾」と言えば、「受験指導のみを行う」というやや偏狭なニュアンスを感じさせてしまいます。
多義的な古典ラテン語を用いることで、当塾が「あらゆる勉強・知的活動の基礎となることばの力の向上」を目指し、幅広い指導を提供する場であるということが、皆様に伝われば幸いに存じます。
これからも当塾は、長年の専門的指導に裏付けられた指導スキル、一人一人を大切にする個別指導により、塾生の「ことばの力」を伸ばし、学業成績、入試における得点力を育成して参りたいと存じます。そしてその先、培われた「ことばの力」が、塾生一人一人の人生を幸多きものとする一助となるならば、当塾としてこれに勝る喜びはございません。

