凝と手を見る

「凝と」って何と読むかご存知でしょうか。「手を見る」から感づかれた方も多いかも。「じっと(ぢっと)」と読みます。

「じっと見つめる」という意味の「凝視(ぎょうし)」という熟語と合わせて覚えておくといいでしょうね。

国語辞典を見ても漢和辞典を見ても、「じっと」の漢字表記は「熟と」としか書かれていないんですが、石川啄木の「働けど 働けど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢっと手を見る」なんて有名な短歌を思い起こすと、「凝と」という表記もセンスのいい漢字の使い方だと思います。どうしようもなく苦しい生活の中で、わが手を「凝視」しているわけですから。


最近、生徒さんの掌をじっと見る機会が増えています。別に意味もなくジロジロ見ているのではありません。彼・彼女らが教室に入る際、その掌に、殺菌のためのアルコールを私達が散布しているからです。

こんな機会でもなければ、他人の掌をじっと見る機会なんてそうないだろうと思うんですが、なかなかの発見があるんですよね。

「○○君はまだ小柄だけど、案外てのひらは大きいんだな」とか「○○さんは背が高いけど、ほっそりした指をしているんだな」とか。ある子はアルコールを両手を椀のようにして受け止めるかと思えば、またある子は掌を広げて消毒液を受けます。これまた百人百様。

小学低学年の子達の掌は、まさに「紅葉」のよう。幼児の手を「紅葉」に喩えるのは、使い古された比喩ではありますが、言い得て妙だと思います。子供の手の小ささ・血色の良さのイメージと紅葉の印象は大きく重なりますからね。

啄木とは全然違うシチュエーションですが、「凝と手を見る」日々がまだまだ続きそうです。