カバー曲とセンス – 記述問題に関するちょっとしたアドバイス

曲のカバーって難しいと思うんですよね。

同じようなアレンジで演奏したり歌ったりするならあまり価値は無い。カバーする以上は別の価値を加えないと、屋上屋を架すことになってしまう。

かといって、大きく逸脱すれば元の曲に対する敬意が失われる。でも、あわよくば元の曲を凌駕してみたいし……。

そんなことを考えると、私がミュージシャンなら、カバー曲なんてやらないよということになりそうです。しかし、世の中にはカバー曲が溢れています。良い曲がなかなか書けないから、他人の曲をカバーしてアルバムを埋めるなんて場合も多いのかもしれませんが、原則としては、やっぱりその曲やミュージシャンに対する愛情が曲をカバーさせているはず(だと思いたい)。

いや、なんでこんな事を書き始めたかと申しますと、久々に好きなアルバムを引っ張り出して(といってもAppleMusic上ですが)聞いていて、下記の曲のカバーがあることに気付いたからなんです。

「Runt: The Ballad of Todd Rundgren」という1971年のアルバムに収録されている「Wailing Wall (嘆きの壁)」という曲です。トッド・ラングレンは私が天才中の天才と敬愛するミュージシャン。敬愛しすぎていて、なかなか記事を書きにくいんですが、下記は紛う方なき名曲。ジャケット写真も皮肉が効いていて最高。

Todd Rundgren – Wailing Wall‬

で、カバーを発見して驚いたのが下記。ニック・デカロがカバーしてたんだ!確かこのアルバムを持っていた気がするんですが、「二人でお茶を」しか聞いてなかったのがバレバレです。

Nick Decaro – WAILING WALL(Todd Rundgren)

しかし、これ、大失敗ですよね。暇な人は聞き比べて欲しいんですが、最悪に近いカバーだと思います。トッドを劣化させたベタッとしたボーカルに節回し。アレンジもほとんど同じ。トッドの3分の潔さが、ニックでは4.5分の停滞になってしまっている。いや、ニックが嫌いというわけではないんです。彼のムード歌謡的な曲も嫌いじゃない。でも、これはないんじゃないか?


和歌集を読んでいても、なんかこれカバーっぽいけど(文学的には「本歌取り」と呼びます)、すごくもっさりした感じになってしまってるよな、ちょっと助詞が違うだけなのに、なんて感じることがあります。

逆に、ちょっと表現が変わるだけで、一気に美しい和歌に変わることもあったりするんですが、あれって何なんでしょうね。結局は、歌詠みの感性・センスや表現力に帰結するんでしょうけれど。

あ、ちなみに入試で答案を作成する際は、そんなセンスを気にする必要は全くありません。配点されるポイントが書かれていればそれでOK。そう考えてみると、国語の勉強って、ある意味楽ちんですよね。良かったでしょう?ほーら、あなたは国語の記述答案を作成するのが簡単にな〜る、簡単にな〜る……。

さすがに催眠術で記述答案が書けるようにはなりませんね(笑)。ただ、アドバイスさせてもらうと、迷うタイプの受験生は、あまり深く考えずに記述問題に取り組んでみてもらいたいと思います。むしろ、とりあえず書いてみた答案を修正するのに時間を掛ける方が、学力は向上するだろうと思います。

と、無理矢理に勉強の話に持ち込んで終了。